建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2000年6月号〉

interview

うに、あわびで奥尻ブランド化

救急医療体制の確立が課題

北海道奥尻町長 越森幸夫 氏

越森 幸夫 こしもり・ゆきお
昭和5年12月10日生まれ、奥尻町出身、道立函館工業中退。
昭和34年4月町議会議員初当選4期
42年〜50年まで町議会副議長
50年奥尻町長に初当選、現在6期目。
越森石油電気商会会長、檜山総合開発期成会会長、函館空港ビル株式会社監査役。
平成5年7月の北海道南西沖地震で壊滅的な被害を受けた奥尻町。しかし、その着実で力強い復興への歩みにより、震災に強い新しいまちづくりを実現させ、平成10年3月には「完全復興」を宣言した。さらに厳しい財政状況の中、地方自治重視の新時代のまちづくりに取り組んでいる。震災時から不眠不休で復興を牽引、この9月で4年の任期が満了する越森幸夫町長に、現在の奥尻町と将来のまちづくりに対するビジョンを語ってもらった。
――かつて太平洋戦争に敗戦した日本は、昭和30年代に入って高度成長期を迎えた時期に「もはや戦後ではない」とのキャッチフレーズが聞かれました。南西沖地震に見舞われた奥尻町も、ようやく平成10年には「もはや震災後ではない」と宣言しました。それから2年が経過しましたが、平常時に戻った奥尻町のグランドデザインと将来像をどう描いていますか
越森
 全国から頂いた温かいご支援のもと、震災復興、未来を創造できる町づくりも、その基盤を作り上げることができました。これからは、地域のことは地域で決める地方自治重視となり、自治行政においても力量や知恵が問われる時代となります。
他の自治体と比べ奥尻町は、震災という大きなマイナスを背負ってきたわけですが、現在は他の自治体同様に、課されている課題は同じなのです。例えば地方分権、介護保険導入による福祉対策など、全国自治体が抱える課題が、奥尻町にとっても重要課題となっています。この課題にどう対処していくかが問われているわけです。
そこで、町では「明るく開かれた町政」を目指し、真の地方自治を確かなものにするために平成12年度から21年度までの第4期奥尻町総合開発計画を策定中です。基本的には第3期奥尻町開発計画の基本理念に基づいた計画策定となりますが、奥尻町らしさをいかに表現し、実現していけるかがカギだと思っています。
震災後は生活再建・防災まちづくり・地域復興の3本柱が政策のテーマとしてあったわけですが、今後は地域振興、水産・観光・福祉対策にウエートを置いた計画になります。そして、奥尻町ならではの「活力のある地域づくり」を目指していきたいと考えています。
――有珠山が噴火し、地元住民の多くが今なお避難生活を強いられています。規模こそ違え、かつてその辛苦を経験した奥尻町としては、どんな感想を持って見ていますか
越森
何よりも、住民の皆さんの今後の生活がどうなるのかが心配です。阪神大震災の時もそうでしたが、被災された方々が避難所の集団生活で、不自由さと不安を抱く姿を見ていると心が痛みます。とても他人事とは思えないというのが率直な感想です。
精神的なケアも含め、同じ自然災害の恐ろしさを経験してきたものとして、お役に立てることがあれば協力は惜しまないつもりです。
――今回の噴火による経済的影響を、どう見ていますか
越森
有珠山地区は、北海道経済の中でも観光産業の面で非常に貢献している地区です。しかし、今の状況が長期化すれば、経済的影響が懸念されます。実際、ゴールデンウィークに来道を予定していた本州観光客が、10,000人近くもキャンセルしてしまったとの報道もありました。
ようやく北海道拓殖銀行の倒産ショックから立ち直りつつある矢先ですから、衝撃は大きいものがあります。これが引いては、道南地区にまで波及していくことが心配されます。
したがって、有珠山地区においても、一刻も早く復興し、立ち直ることを願っています。
――壊滅的な打撃を受けた奥尻町青苗地区は、すっかり見違えましたが、堤防で遮られて道路から海原を望むことができなくなりましたね
越森
現在、道路を徐々に道路を拡幅すると同時に嵩上げして、海を見えるようにしつつあります。ただ、その途中でも民家が建築されるので、家が低く道路が高くなった場合は、雨が降るたびに浸水しかねないという問題もあります。
――例えば本州河川のように、スーパー堤防のような形は無理でしょうか
越森
将来的にはそういう形に持っていく必要がありますね。
――ところで、すでに復興を成し遂げた奥尻町としては、震災復興にともなう財政需要の増大により、厳しい財政運営が続いているようですね
越森
確かに昨年度においては、庁舎建設基金といった特定目的の基金すら取り崩す結果になっているのは事実です。現在、こうした財政構造の改善を図るために行財政改革を推進しています。
昨年度には、19年度を目標年次とする財政健全化計画を策定しました。内容は、簡素で効率的な体制、目標に沿った定員の削減、増員の抑制などで、経常収支比率の改善を図ると共に、起債制限比率も新規事業の繰り延べや継続事業の見直しで地方債の発行を可能な限り抑制し、比率を引き下げていきます。
――そうした事情を踏まえ、12年度予算はどのように編成されたのですか
越森
一般会計では不足財源を補うために昨年度に引き続き特定目的基金である後継者育成基金を取り崩し、一部を原資として「奥尻町ふるさと人材育成基金」を創設しました。その残額を、本年度及び後年度の財政負担に充てる予定です。
いずれにせよ、今年度においても厳しい財政運営が続くことが予想されますので、行財政改革の推進を断固として進めなければなりません。
――一方、経済活性化のためには、効果的な投資も必要ですね
越森
そうです。歳出面では福祉政策の充実を図るための保険福祉センターが6月に完成するほか、南西沖地震の恐ろしさ、災害の教訓を後世に伝え災害の教訓、恐ろしさを風化させないために建設を進めていた「津波館」が10月に青苗岬に完成します。この2つは、町としての主要建設事業となります。とりわけ津波館は、新たな観光スポットとしても期待されるところです。
また、災害時の緊急避難広場を兼ねた全国初の施設として、青苗漁港に建設中の人工地盤も6月に完成の予定です。
観光面では、昨年4月にスタートさせた観光バスのフェリー片道運賃を町が負担する補助制度が、思った以上に成果を上げましたので今年度も継続します。今年度も効果が見られれば、制度を恒常化させる考えです。
また、被害にあったスポットの再整備も順調に進んでいます。賽の河原公園の完成をきっかけに奥尻町3大祭りが復活したのを始め、全国沿岸市町村津波防災サミットなどを開催したほか、商工政策では「グリーンツーリズム・イン上野駅」として、都市と地方の交流の場を設けて観光客誘致に力を入れ、「蘇る島・奥尻」をアピールしてきました。
――今後、奥尻経済が自立していく上では何が必要と考えますか
越森
やはり基幹産業である漁業と観光の、より一層の振興・発展が重要になります。もちろん、住民が平和な生活を営むことのできる環境づくりを進めていくことが、本当の意味での自立に向けた基盤となるのは言うまでもありません。
最初にも申し上げましたが、行政はムダを省きスリム化を図ることが必要ですし、一方では、奥尻町の魅力を引き出すアイデアを常に考え実行に移していくことです。
そして、必要な場面では先を見越した上で、大胆な投資も必要になるでしょう。ですから、目先にとらわれることなく、足元をしっかり見つめた上での町づくりが重要です。
――経済がグローバル化し、否応なく市場競争に晒されていく情勢にありますが、奥尻経済の競争力の強化には、何が必要と考えますか
越森
奥尻町ならではのブランド品の開発が必要になるでしょう。それが、物としてなのか、イメージなのか、あるいは話題としてなのか、そのコンテンツについては、しっかり見定めていかなければなりません。
いずれにしても、奥尻は恵まれた自然に囲まれているわけですから、これを生かしたアイデアをどう展開していくのかがポイントと言えます。ただ観光資源となる自然環境に頼るだけでなく、私たち自らも知恵を絞ることが重要です。
――そうした産業強化には、島外とのアクセスなど、産業インフラの整備も課題ですね
越森
そうです。青苗は空港、奥尻は港湾を中心としたまちづくりを進めていますが、奥尻空港の滑走路延長が国の許可を受け、いよいよ着工に向けて動き出します。現在の800bから1500bに延長され、大型航空機の就航が可能になりますから、観光客の掘り起こしが見込めますし、新たな流通経路の開設で奥尻の特産品をより多くの市場へ参入していくことも可能になるなど、産業・経済の振興に果たす役割も大きなものとなるでしょう。
のみならず、災害発生時には、救援物資や人員の早期大量輸送も可能になります。離島にとって空港と港湾は物流の拠点であり、重要なライフライン施設ですから、滑走路の延長には非常に大きな期待をもっています。
これまで町を挙げて地道な関係機関への働きかけが実を結んだものと思っています。
――そうした起爆剤を基に、次期に向けての構想は
越森
町長としての今任期では、北海道南西沖地震による壊滅的な被害からの復興を第一に進めてきました。おかげさまで、国、道始め全国からの暖かい支援のもと、平成10年3月には完全復興を宣言することができました。
震災に強いまちづくりでは、青苗地区・稲穂地区・初松前地区で防潮堤の背後に盛土を行って一定の高さに整備し、道道奥尻線の改良、集落道路、生活排水処理施設、避難広場、防災安全施設など防災面、安全面に配慮した整備がほぼ完了しています。
この次には、山上に奥尻から青苗までを結ぶ、災害に強い道路の整備を実現させたいと考えています。地震で崩れ、青苗方面に救急車や消防車などの緊急自動車が到達できないことがよくあります。
そのため、山上の比較的に急峻でないところに、崩れてこない道路を南北に通したいものです。
また、青苗岬地区では「防災集団移転事業」が国土庁の補助事業として認められ、高台地区に宅地造成を行っています。全国有数の防災通信システムも構築されました。
基幹産業である漁業については、未来を見越した「つくり・育てる漁業」に向けて、養殖施設の設置も島内各所で順調に進んでいます。この養殖を始めとする各種栽培漁業の振興は、漁業の通年化に向けての重要な試金石となります。
一方、農業に関しては生産性の向上と同時に、観光などと密接なつながりを考えた観光放牧や観光農園のような多面的な機能を持たせるよう、畑地帯総合整備事業の推進や農地保全事業の推進が着々と進んでいます。
――介護保険がスタートしましたが、混乱はありませんか
越森
介護保険では、今のところ問題は起こっていませんが、この1年間はいろいろな問題が発生しても仕方がないでしょう。ただ、これまでも特別養護老人ホームで実際に業務を行っており、保健福祉センターにも療養型病床群を4つ設置しましたから、態勢は整ったと言えるでしょう。
ただ、救急医療体制に不安があるので、これが今後の課題です。離島であるため、いざという時に、医師がなかなか来られないのです。関係方面にもお願いしていますが、定住してくれる医師がなかなかいません。
少し以前に住民が1人、倒れたことがありました。ところが、ヘリコプターを要請し、函館市内の病院に入るまでに10時間を要したのです。脳溢血の場合では、4時間以内に処置をしなければなりませんから、この状況では絶望的です。
北海道知事に要請し、丘珠空港からヘリコプターを出動してもらうには、まず天候調査を行うことになります。その結論が出るまでに時間がかかります。出動不可の場合は直ちに海上保安庁に依頼しますが、それも無理となれば、最終的には陸上自衛隊に依頼しなければなりません。それまでに時間があまりにかかって、助かる人も助からないということになるのです。
――島内に独自の緊急医療体制をつくるわけにはいかないのですか
越森
転送画像を活用し、ヘリコプターで搬送して、第一次医療としての初期治療だけを行い、後はレントゲン写真だけを送るという方法をとるのが精一杯です。
江差町には改築された道立病院があり、センター病院としての役割を果たしています。このため、江差近郊の住民は安心度が高まりましたが、離島である奥尻にとっては、ハンディは大きいものです。

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