建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2001年6月号〉

interview

勇気と決断を持って、行政改革に努める

市立病院を経営健全の方向へ

根室市長 藤原 弘 氏

藤原 弘 ふじわら・ひろし
昭和11年11月16日生まれ、東京都出身、北大水産学部卒
昭和 34年 道庁に入庁
52年 水産部漁政課組合係長
55年 後志支庁水産課長
56年 水産部漁政課長補佐
58年 同漁業経営対策室参事
60年 同漁政課長
61年 同技監兼漁業経営対策室長
63年 水産部技監
平成 元年 根室支庁長
3年 水産部長
6年 道庁を退職
6年 北海道栽培漁業振興公社会長代行
9年 北海道漁業信用基金協会副理事長
10年 根室市長選に初当選
水産のまち・根室市を変革させるべく藤原弘氏が市長に就任してから、約2年半が経過する。就任当時から水産業の低迷、市立病院の経営難、北方領土問題など問題が山積みとされており、それらの対策が急務であった根室の変革の進行具合と、今後の対策を藤原氏に語ってもらった。
――市長になって約2年半が経過しますね
藤原
まちづくりは行政が一方的に進めるのではなく、市民の視点で物事を考え、市民本位の政策を立案して執行することが大切だと考えています。したがって、職員には、「まちづくりの主役は市民」という基本理念に基づき、市民と市役所がそれぞれの役割分担を担いながら協働で進めるべきだと言ってきました。
財政は非常に厳しいですが、住民からは多数の施策要望がありますから、どの事業を取捨選択するかが大切です。私の実績の中で1年目は、労働組合側の強い抵抗がありましたが、定期昇給の延伸を行いました。
 2年目は或る時点まで水面下で進めていた市立病院の医師派遣大学の変更を実現しました。これまでの20数年間は、東京医大に要請し、派遣していただいていましたが、12年4月から旭川医大に変更したのです。道内自治体としては、道内の医大ネットワークを活用すべきと考えたからであり、病院経営の健全化に向けての戦略でもあるのです。
――医大の変更は大胆な改革ですが、病院の経営状態はいかがですか
藤原
医師派遣大学の変更をしたから、すぐ経営が上向きになるような状況ではありませんが、患者の戻り具合や診療の収入などを見ると、上向き状態にあると言えます。医師派遣大学の変更後、先生方の協力もあって、これまで従来、釧路へ出向いていた患者も戻って来ています。
しかし、病院は新築の課題があります。昭和34年に診療棟、45年に病棟を建てたのですが、すでに老朽化しています。しかし、それには100億円もかかり、今の財政状況では建設できる状況にはなく、また病院の経営内容も起債が認められるくらいまで、経営健全の方向が定まって好転しなければ、承認されません。今後どのように取り組むかが最大の課題になっていくと思います。
 ただ、病院の建設基金を条例で設置したところ、退院した市民から、病院新築の為に使って下さいと300万円近くの寄付が集まっています。つまり市民も新築を望んでいるわけですから、たとえ批判が出ても、市長としての使命と考えて取り組んでいきます。
――その他の行革への取り組み状況は
藤原
行政改革としては、市民による市役所の市民行政改革委員会を設置し、市民の意見を得ると同時に、職員による委員会でも審議・検討した上で、それを実現するという手法を取っています。現在、情報公開制度の確立や業務のoa化、給与制度の見直し、時間外勤務の削減、通勤手当の見直しなどを検討しています。
財政改革については、自主財源の柱である市税の収納率アップに向けて、税務課にスタッフ制を導入しました。今までは課税と徴収の部門があり、課税を担当していた職員は、納税時期が過ぎると業務に余裕ができるので、徴収も行い、収納率の向上に努めました。今まで根室の税の収納率は、34市中の34番か33番目でしたが、これによって、おそらく12年度は、7、8番上がり25番目ぐらいまでになるものと思います。
一方、歳出については、経常費において枠配分方式を導入し、市が支給する補助金の見直しを実施しました。また、道が始めるのに先駆け、政策評価として点数制を導入しました。例えば、パークゴルフ場の整備が総合計画に記載してありますが、それを30数項目にわたって点数を付け、優先順位を決め、取捨選択したわけです。これは良い手法だと思います。
 逆に、私が最も忌避したいのは前例踏襲型です。これは断固として改めました。危機的な状況にある市政を進めていくには、思い切って改革を断行すべきと思います。反対論はありましたが、首長は、それくらいの意志を持ち、批判を恐れずに勇気と決断を持たなければなりません。
――危機的な状況であればこそ、職員の資質もより重要な要素になりますね
藤原
財政的には、確かに危機的状況ですから、私が先頭に立たなければならないと考えていますが、一方、職員には、日常性に埋没せず、与えられた仕事だけをするのではなく、こうした苦しい時代こそ色々な情報を得て、他の市町村に負けないよう、自分の想像力を持って市政に取り組むように言っています。
 そして、先に触れた前提踏襲型で、何もしないために間違いもしないような職員はいらないと言っています。
――基幹産業の振興には、どう取り組みましたか
藤原
私は北海道水産部に長く勤務し、部長まで勤めたお陰で、全道の漁業基地の事情を知っていますが、根室は、サンマやホタテなど、漁種と量において恵まれていると思います。
しかし、最大の難点は、ロシア海域に依存しなければならないことです。昨年の12月15日に妥結した日露地先沖合漁業交渉では、マダラの漁獲割当量が3、300tから666tへと、約8割もカットされました。マダラ漁業は1月から3月の寒い時期が盛漁期で、本来なら船はもう出る時期でしたが、結局この割当量では船が出せないので、減船者を募りました。マダラ漁の中型船10隻と小型船36隻の計46隻のうち、羅臼分の小型船7隻を除く29隻から15隻を減船することになっています。
また、ロシアでは漁獲枠のオークション方式を導入しましたが、それも影響しています。
一方、ウニやホタテ、ほっき等の栽培漁業の推進、昆布資源の増大といった沿岸漁業には力を入れています。栽培漁業はウニの種苗センターなどで、種づくりやコンブの雑海藻駆除といった栽培漁業の推進に努めています。ロシア海域に依存しているとはいえ、沿岸漁業の振興、栽培漁業の振興で補足する考えです。
また、根室はサンマの水揚げ量が日本一で、海水温度、地球温暖化の傾向の中で、根室の沖合の海水温度は、緯度が2度くらい北上した海水温度にあると言われます。そうなると、近年のサンマの回遊などを見るに、海水温度の関係で南下する心配がないのです。そのため、常に根室周辺にサンマの漁場が形成され、水揚げ量が上がるという利点があります。
以前に千葉県銚子在住の人が、「時期が遅くなると、本来なら魚群は南下して行きますが、この頃は南下して来ない」と言っていました。そのためサンマは期待できないので、漁種を変えたそうです。今後も地球温暖化でサンマ資源は、根室が有利になり、水揚げ量日本一が続くのではないかと思います。
しかし、先のマダラ問題を始め、3月27日から始まっているロシアとのサケ・マス交渉、またサンマ漁業のロシア人のオブザーバーの乗船などの国際的な規制強化の対策は重要です。
段々と人口が減り、財政事情も悪いという、そのような閉塞感に陥っている状況を、嘆いているばかりでなく現実は現実として受け止めなければないと考えています。今後、根室が水産都市として発達するために、漁業資源は恵まれているので、その利点を最大限に生かさなければならないと考えます。
 大企業を根室に誘致することは無理ですが、産業クラスターの取り組みは継続します。最近、研究会で話し合いましたが、例えば珍しい物として船底塗料や網の防汚剤等には、これまで化学物質を使用していましたが、その代わりに海藻などを利用し、フナムシなどが船底に付着しない研究を若い人達が中心となって進めています。また、企業の中では、化粧品やダイエット食品になるサケの氷頭という頭部の軟骨から、コンドロイチン硫酸を抽出する研究も進めています。
――日ロ首脳会談「イルクーツク声明」を受けて、根室市は、今後どう取り組む考えですか
藤原
非常に難しい問題です。根室は北方領土返還運動原点の地で、昭和20年12月に当時の安藤石典町長が、マッカーサー元帥に直訴して以来50数年間、先頭に立って運動してきました。私が市長になっても返還運動は従来通り、あるいはそれ以上に熱心に取り組んでいますが、反面、外交交渉を先取りするような事は言うべきでないとも言っています。確かに根室市長の発言は、4島住民あるいはサハリン、モスクワなどにすぐ伝わるので、軽率に外交交渉の核心に触れる言動はすべきではないと思います。
ただ「イルクーツク声明」については、今後とも平和条約締結交渉を継続していくことが確認されたこと、1956年の日ソ共同宣言の有効性が文章で確認されたことで、一歩前進だと評価します。日ソ共同宣言の有効性を文章で確認するだけでなく、東京宣言の内容も付記したことの意義が大きい。56年の宣言では歯舞、色丹の二島を平和条約を締結後に引き渡すが、国後や択捉については触れていなかったのが、四島問題を協議する旨の東京宣言を付記したことは、大きな前進です。
 ただ、今後の返還運動で最も留意すべきは、元島民関係者の高齢化が進んでいることです。1945年8月には、1万7、291人が領土にいましたが、現在は9,000人台を割っており、しかも平均年齢は70歳くらいです。そして既に2世はもとより4世までが生まれており、元島民の人達と違い、後継者が必ずしも返還運動に力を入れるとは限らないので、いかに運動を後継者に引き継いでいくかが今後の大きな課題です。
――根室市の市勢は、今後どのように推移していくと見ていますか
藤原
根室市は、かつての北洋、太平洋銀行と言われた、サケ・マス全盛時代の昭和40年代は、人口が約5万人でしたが、現在は3万4千人を切っています。これは、市税収入や、人口割りを勘案される地方交付税のシェアに影響してきます。
反面、事務的経費や人件費、各会計の繰り出しは伸びていき、特に公共施設を充実させるので、建設費や維持管理費、そして起債の返還など苦しい課題があります。そのため、市財政は非常緊急事態で、私が市長に就任した際に、0からではなくマイナスからのスタートだと言いました。
したがって、財政再建計画に取り組みながらも、四島の損失に対する国の財政支援をお願いしています。つまり、北方領土が返還されていれば、当然、受けているはずの利益を失っているわけです。四島さえあれば、もっと根室の経済は栄えているはずです。例えば、函館から択捉に行く航路も必ず根室を通過するはずですから、これがないためにかなりの経済的な損失を受けています。そこで、今年度から国に特別な財政支援を求めるため、市に専掌する部署を設けて財政再建対策に取り組む考えです。
これは根室市だけでなく、根室地方総合開発期成会としても、北方領土四島が日本の領土であれば、当然受けているはずの利益を逸失している事を訴え、根室を含めた1市4町で支援の実現化を目指しています。
 また、道路網整備は、トライアングル道路構想として根室と釧路と中標津のネットワーク化を要望しています。釧路〜中標津間はすでに着工しましたが、さらに根室道路と言われる根室と釧路は根室側から着工することで、おそらくは13年度中に着工になると思います。
――観光産業の振興策は
藤原
根室は手つかずの自然の魅力があるので、市民を、オオワシや各種野鳥等の観察の仕方を教えることのできるネイチャーセンターのネイチャーガイドとして育てるため、日本野鳥の会による講習会を行い、将来的には根室に訪れた人々を有料で案内するガイド育成を進めています。そして、もし北方四島の状況が許すのであれば、四島の自然観察ツアーなども考えられます。

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