建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2005年1月号〉

interview

続日本紀でも記された肥沃な扇状地に水資源を供給

コンストラクションマネジメントでの試行で品質確保とコスト縮減

国土交通省 東北地方整備局 胆沢ダム工事事務所長 加納 茂紀 氏

加納 茂紀 かのう・しげき
昭和35年6月10日(44歳)
出身地 岐阜県可児市
京都大学大学院工学研究科交通土木工学専攻修了
昭和 60年 4月 水資源開発公団採用
平成 元年 4月 水資源開発公団味噌川ダム建設所 調査設計課設計第二係長
平成 4年 4月 建設省近畿地方建設局河川部 河川調整課長補佐
平成 6年 4月 水資源開発公団試験研究所 構造解析研究室主任研究員
平成 9年 4月 沖縄開発庁沖縄総合事務局 北部ダム事務所調査設計第一課長
平成 11年 4月 水資源開発公団第一工務部設計課長補佐
平成 13年 6月 水資源開発公団試験研究所 構造解析研究室主任研究員
平成 14年 7月 国上交通省東北地方整備局 胆沢ダムエ事事務所長
北上川流域の治水と水供給を担う胆沢ダムの建設が進んでいる。流域は肥沃な水田地帯として発展したため、古くから水源開発が行われてきたが、慢性的な水不足から、水争いが繰り返されてきた。胆沢ダム工事事務所の加納茂紀所長は、胆沢ダムをそうした古くからの水源開発の完成形として捉える。また、この事業では、発注者だけでなく、マネジメント技術を有する民間の第三者が工事監理に当たるコンストラクションマネジメント方式を試行導入していることが特筆に値する。
▲胆沢ダム(完成予想図)
――胆沢ダムの建設される北上川流域の概要は
加納
胆沢ダムの建設される北上川は、総延長約249km、流域面積10,720kuの東北最大の河川で、沿川市町村は9市46町8村に上ります。地域に潤沢な水を供給する一方で、何度も氾濫を繰り返し、古くから洪水の被害を引き起こしてきました。これに対応するため、洪水被害の軽減、食料の増産、電力エネルギーの確保を目的として日本ではじめての河川総合開発事業がはじまったのです。治水対策としてダム・堤防・遊水地の3つを組み合わせており、遊水地として、建設中の一関遊水地があります。この治水体系は、田瀬ダムの建設からスタートしました。田瀬ダムは昭和16年に着工したものの、戦中の資材不足で一時中断しました。そして戦後の昭和25年から再開し、29年に完成しました。昨年に完成50年の式典を行ったところです。
そうして現在、北上川上流には、古い順に石淵ダム、田瀬ダム、湯田ダム、四十四田ダム、御所ダムという五大ダムがありますが、胆沢ダムはそのうちの石淵ダムを再開発する事業です。石淵ダムは、総貯水容量が1,600万Fあまりでこの5つの中で最も小さなダムです。
――この地域の地形や特性は
加納
ダムサイト下流には非常に綺麗な三角形をした胆沢扇状地があり、そこには農地が1万haほど展開しています。古くからここに水を引けば、非常に肥沃な土地になると言われてきました。しかしこの扇状地は胆沢川がその北端を流れ、南側に行くほど高くなっている傾斜扇状地なのです。そのためこの地域に水を引くことが人々の願いであり、課題であったわけです。
昭和28年の石淵ダムの完成によって、水不足がかなり解消されたのは確かですが、いかんせん容量が小さく、これだけの広い農地を潤すには不十分なのです。石淵ダム完成後も、2年から3年に一度は必ず渇水・取水制限を行ってきており、ひどいときには石淵ダムの水を全て使い切って、ダムが空になるという事態も起こっています。
▲茂井羅堰 ▲寿安堰
――昭和20年代と現在とでは、状況は変わっていないのでしょうか
加納
400〜500年前からこの地方では水を引く努力がされていました。寿安堰、茂井羅堰という名前が今も残り、水路網が広く張りめぐらされています。さらにその以前にも、まさに胆沢ダム建設地点から取水した、日本最古の用水堰と言われる旧穴山堰があります。調査の結果、人力で掘った穴堰(トンネル)と平堰(開水路)の跡が発見されました。そうした先人の苦労が、この大地に延々と残っているのです。
また地元の高齢者の話では、かつては渇水時にそれぞれの地区から、順番に田に水を引くための番人を当番させる番水を行っていたのですが、中には水量をこっそりと変えてしまったために、他の地域に水が届かない事態も頻発し、争いがよく起こっていたらしいのです。
このような水争いは、石淵ダムの完成で解消されました。また、水を公平に分けるという点では、全国各地にもいくつかありますが、円筒分水工という施設がひと役かっています。円筒分水工は中央から湧き出させた水を、横にオーバーフローさせ、円周の長さで水量を分配するもので、これが国営かんがい事業で石淵ダムの4年後に完成したことにより、平等に水が行き渡るようになったのです。
しかしながら、ダムの能力不足から、昭和40年頃には新石淵ダムを建設して欲しいとの要望が強くなりました。そこで当時の建設省が予備調査を開始し、最初は石淵ダム嵩上げに向けての調査を行ったのですが、技術的に困難との結論になりました。そこで新たなダムサイトの可能性を検討した結果、現在のダムサイトで昭和58年から実施計画調査に入り、昭和63年に建設事業が始まりました。実施計画調査着手から、約20年が経過したことになります。
旧穴山堰 ▲円筒分水工
▲氾濫する北上川(水沢市藤橋付近) ▲石淵ダム放流状況 h6.9.30台風26号
▲現況:川の水が干上がった胆沢川 ▲胆沢ダム完成後:安定した流量を確保
(イメージ)
――治水の面では
加納
石淵ダムはダム容量が小さいために、洪水に対する調節機能が低いのです。加えて北上川自体の堤防整備率も低く、古くから洪水被害が多発しています。昭和22年のカスリン台風、23年のアイオン台風で北上川流域は甚大な被害を受け、これを契機に治水事業の必要性が高まり、北上川全体の治水が進められてきました。胆沢ダムができれば、下流の洪水被害軽減にも今よりはかなり貢献出来るものと思います。
――施工に当たっては、ユニークな施工体制を導入しているとのことですが
加納
CM方式を試行的に導入していることが、胆沢ダムの特徴のひとつです。
CMとはコンストラクション・マネジメントの頭文字です。従来は発注者がダム工事の契約・監督を行い、受注した請負者が施工および施工管理を行うという発注者と請負者の関係で、請負者は掘削から盛立て、コンクリート施工までの一連のダム工事を担うという体制でした。全体施工の一体性という点では請負者一社体制は合理的です。
しかし、一社だけで専任すると、様々な技術的問題が内部消化されてしまったり、コスト構造が分かりづらくなるといった問題点もあります。また、技術的競争性が低下することも考えられます。
そうしたデメリットを解消する方策のひとつとして、工事の専門性によって、施工業務を分けて発注することにしたのです。すなわち基礎掘削工事は掘削を、原石山準備工事は表土処理と道路工事を、堤体盛立工事は盛立を、洪水吐き打設工事はコンクリート施工を、原石山材料採取工事は山を崩す工事を主体として、工事分野ごとに発注しました。これが分離発注と呼ばれるものです。
――そうなると、工程管理に混乱を来す心配はありませんか
加納
工事の専門性に基づいて、担当を5つに分けたとはいえ、造るものは一つです。従来の方法では、一社が一つのものを独占的に造るというイメージが強かったのですが、今回は、基礎掘削を行った担当者の次には盛立工担当者が控える形で、異なる施工担当者が前後に並んでいます。また、前後に並ぶと同時に、併行する他の工種の担当者とも並ぶわけです。
したがって、縦のマネジメントと横のマネジメントが必要となります。それを発注者が単独で行っても良いのですが、ここに現場のマネジメントに精通した民間人を配置し、そのノウハウを活用して発注者が従来担ってきた施工マネジメントの一部を担当してもらうことにしたわけです。それによって、5つに分けた工事をひとつのものに統括し、良いものを造ってくための試みとして進めているのです。
――細分化されたことで、コスト高になる可能性はありませんか
加納
その点は、様々な仕組みを導入しています。例えば、施工マネジメントの担当者をcmr(コンストラクションマネージャ)と呼びますが、cmrに工事施工前の段階でコンサルタントの設計成果物を照査してもらい、現場状況に照らしてcmrの立場から積極的にコスト縮減の提案をしてもらう体制にしています。
ただし、単に提案するだけでは、意欲もいまひとつ奮わないでしょうから、提案に対するインセンティブを持たせる仕組みになっています。つまり、cmrの提案を発注者が承諾し、それによってコストがカットできた場合は、その10%を成功報酬として提案者に還元する仕組みを採用しているわけです。
施工業者にも、良い提案が採用されれば、50%を還元するといった契約後ve制度があるのです。したがって、関係者は知恵を絞ることで収益を得ることが可能で、それによって技術的な競争性も高まることが期待できます。
――極めて合理的な手法ですね
加納
そうです。請負者やCMRから良いアイデアを出されれば、それだけコスト縮減になりますが、我々自らがアイデアを出せば無料で済み、縮減効果も高まるわけです。したがって、3者の技術面での競争性が高まってくるものと期待しているところです。
――発注者側にも、高い技術力と判断力が求められますね
加納
そうです。特に施工時期がせまっている内容であれば迅速な採否の判断が求められ、そのための技術力と体制が必要です。しかし実態としては追加の説明や資料を求めるなど、まだ十分とはいえません。我々も技術的に向上しなければならず、判断を誤ってはならないという緊張感があります。
――日本で初めての新しい方式を導入しているこのダムは、日本のダム技術のレベルを測る基準ともなりそうですね
加納
確かに、多くの建設関係者の視察もあり、その意味では現場担当者の意識レベルも高くなると思います。しかし、こうした仕組みを導入しなければ、必ずしも技術競争やコスト縮減ができないというわけでもありません。従来のダム現場も、発注者として施工業者、請負者の方にコスト縮減を求めたり、工期を縮める努力を実現させてきたところはあり、それで成功したところもあるのです。
▲胆沢ダム学習館
――現場の見学会などは、実施されていますか
加納
胆沢ダム学習館を、ダム事業の広報に限らず総合学習の拠点としても活用することを目的に、平成13年にオープンしました。オープンから4シーズンが経ちましたが、この4年間で入館者が6万人を越えました。
小学校では4年生で水の学習をするということで、よく見学に来ます。完成は平成25年度を予定しているので、彼らが二十歳になる頃ですね。中学生や土木系の高校生、大学生もよく来ています。また、地元の高齢者やダム建設のために移転していただいた方々も、完成まで見てみたいなぁと言いながら、多数来てくれます。中には、石淵ダムの建設工事に携わってきたという地元の方もいらっしゃいます。当時を回想して、現場で雇用してもらうために、年齢を誤魔化していたと告白する70代後半の方もおられましたね(笑)。
さらに今年度から、本格化したダム工事現場を中まで入って見てもらうダム見学会を年3回開催することにしました。毎回募集を超える応募があり、関心の高さがうかがえます。
▲胆沢ダムの模型
――地域のダムは、地域の文化の一部になり、郷土史の一ページに加わることになりますね
加納
地元の人々は、この扇状地が水文化の象徴だと仰るのです。続日本紀に、胆沢扇状地は「水陸萬頃」の地と記されています。水陸萬頃とは、水と土地が豊かであるとことを意味しており、その当時から胆沢という地域は広く知られていたようです。
また、胆沢川が北上川に合流する付近には平安時代初頭に坂上田村麻呂によって造営された、胆沢城の城跡があります。坂上田村麻呂の朝廷軍と、アテルイの率いる蝦夷軍の戦いの末、最後にアテルイは身を差し出しました。今から1,200年も以前の話です。それよりもさらに古い、縄文時代の遺跡も発見されています。古代から人が住んでいたということは、それだけ土地が肥沃であったと言えるでしょう。
古来からの水の文化を辿れば、その最終点の集大成として胆沢ダムがあるのではないかという気持ちです。
――そう考えると、ダムというものを単なる経済効率の視点だけで捉えるのは考え直すべきだと感じますね
加納
昨年の夏に、現場実習に来た2人の大学3年生のうちの一人が、二週間の実習期間を終えて大学に戻った後、お礼の手紙を送ってくれました。その中では、「最初はダム事業に批判的な意識があったけれども、実習を通じて現場の職員が真剣に取り組んでいること、この胆沢ダムが地域から非常に期待されていることを肌で感じた。私は少なくとも胆沢ダムは大事な事業だと思った」と書かれていました。一般の方だけではなく、土木を目指す学生でさえも、実は公共事業の重要性に対する意識があまりないのが現実で、むしろ土木は悪いイメージで捉えられているところがあるのではないかと感じました。
今後も土木を専攻する学生が来訪する予定ですが、公共事業を正しく理解してもらうためにも、単に現場説明をするだけではなく、逆にこちらからも、こうしたダム事業をどのように考えているのかといった問題提起などもしていきたいと思っています。
――平成16年は台風が多かったと同時に、中越地震まで発生し、治水、防災対策の大切さを思い知らされた年でした
加納
まさに新潟県中越地震が、それを表していますね。電気がなく、ガスがなく、水道がなく、そうしたライフラインが途切れたときに、人々はどんな生活になるのか。それを見ていると、たいへん勉強になりましたし、また防災のためのインフラ整備の重要性を強く感じました。ただ、ダム事業に対しては、近年、環境面などからの反対が多くなっています。
――多くのダム建設現場では、野生生物や自然環境を保護するために、かなりの配慮をしているようです
加納
胆沢ダムも、人と自然の調和をモットーの一つに掲げています。そして自然環境の調査や保全対策も進めています。
環境に配慮する取り組みの一つとしてiso14001に沿った環境マネジメントシステム(EMS)があります。この取り組みは、平成9年に当時の建設省が全国で開始したモデル事業の1つに選ばれたところから始まりました。
最初は、仮排水トンネル工事に適用し、現在はダム本体の基礎掘削工事、そして最近発注した堤体盛立工事にも、環境マネジメントシステムを構築・運用するよう、要請しています。
自然を回復する視点から、原石山などは、ひとつの山を崩してしまうので、建設後はどうするかがよく指摘されます。もちろん、緑化はするのですが、どんな緑化が適切かを考えなければなりません。将来的に、そこがどんな時間を辿り、どんな環境になるのか、例えば猛禽類のえさ場になりやすいような森に戻すのかどうかなどを、十分に考えていかなければならないと思います。
  一方、いろいろな団体や関係者に関心が持たれている活動として、「22世紀ブナの森づくり」があります。これは我々の主催ではなく、地元のいくつかの団体や町が豊かな森を残すために率先して進めている活動です。今年で5年目になりますが、これまでにダム上流の地区に6千本以上を植えてきています。
――工事事務所としての情報発信は行っていますか
加納
ホームページや各種パンフレット、広報誌のほかに、水沢市内のエリアに限定されますが、水沢ケーブルテレビにダム専用のチャンネルを一つ持っています。約5,000世帯ほどが加入しているとのことで、現場の近況や、ダムからのお知らせ、イベントや見学会の案内などを放送しています。また、行事などがあったときには、水沢テレビに取材してもらい、その内容をそこで放送してもらうといった体制です。
しかし、これで十分とは言えません。例えば、石巻など県境を越えて北上川下流の人々が、胆沢ダムをどれだけ知っているのか、あるいは東京で知っている人がいるのだろうかを考えると、広報や情報発信に、さらに取り組まなければならないと感じています。
地方では重要な大事業として非常に関心が持たれていても、首都圏ではほとんど話題にのぼらなかったり、批判的な見方をされることがよくあります。声の大小にまどわされないように、地方の事業の必要性もうまく訴えていかなければならないと思います。
――美しい川というのは、地方である上流で清流を維持しているからこそ、都市部である下流域でも美しいものですね
加納
そうなのです。実は、北上川の河口に北上町という町がありますが、毎年7月には海岸清掃というイベントを行っています。
北上川流域の自治体で構成された北上川流域市町村連携協議会が、中心となって活動しているもので、先の22世紀のブナの森づくりもその1つです。ブナの森づくりは水源地で、海岸清掃は河口部で、まさに上流と下流の町が交流しながら、有志が集まってイベントを行っているわけですね。その協議会会長を、地元水沢市の市長が務めています。
逸話ですが、その水沢市長のリードで海岸清掃をしたところ、「ここに水沢市と文字の入ったゴミがあります」と言われたそうです(笑)。それほど北上川流域全体として、河川に対する意識が高いところなのです。
胆沢ダム建設工事
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