建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2004年3月号〉

interview

愛知の暮らしと産業をドラマティックに向上させた豊川用水

計画当初は「三大ホラ話し」と見向きされず

独立行政法人水資源機構中部支社 豊川用水総合事業部長 西橋順二 氏

西橋 順二 にしはし・じゅんじ
昭和 24年 12月 30日生
昭和 48年 3月 京都大学 農学部 農業工学科 卒業
昭和 48年 4月 農林省構造改善局 建設部 整備課
平成 6年 4月 近畿農政局 淀川水系土地改良区調査管理事務所長
平成 9年 4月 九州農政局 肝属南部開拓建設事業所長
平成 9年 10月 九州農政局 肝属土地改良建設事業所長
平成 11年 6月 東北農政局 計画部長
平成 13年 1月 東北農政局 農村計画部長
平成 14年 4月 東北農政局 会津農業水利事務所長
平成 15年 7月 水資源開発公団 豊川用水総合事業部長
平成 15年 10月 水資源機構 豊川用水総合事業部長
大正時代に、当時の豊橋市長によって発案された豊川用水は、その壮大な構想のゆえに、当初は現実の事業計画としては本気で実現されるものとは、誰もが思わなかった。しかし、農水省、愛知県、愛知用水公団(当時)、そして現代にあっては水資源機構へと事業が継承されながら、見事に現実の水利施設として実現された。現在、有数の工業県であると同時に有力な農業県でもある愛知県の工業用水、農業用水、水道用水として、貴重なライフラインとしての重要な役割を担っている。地域の産業と人々の暮らしを激変させた豊川用水事業について、同機構と豊川用水総合事業部長・西橋部長のインタビューを通じて、特集する。
――豊川用水の用途は
西橋
農業だけではなく、静岡の工業用水、愛知の工業用水、そして一般家庭用と、4者の利水が目的です。大正年間に県議と豊橋市長を歴任された近藤寿市郎氏が、渥美半島に豊川用水を引こうと提言したのが始まりでした。当時から、近藤三大法螺と呼ばれて有名だったもので、一つは豊川の水を渥美半島に通すこと。二つ目は、三河湾を日本屈指の大港湾として整備すること。三つ目は、浜名湖と三河湾を結ぶ運河を開通させることでした。豊川用水はその一つでしたが、現代は三河湾も重要港湾に指定され、自動車の輸出台数もトップです。つまり三つの法螺話のうち、二つは実現したわけですね(笑)
豊川用水は昭和に入って、当時の農林省が調査を実施し、県が事業計画をまとめました。そして着工したのは昭和24年で、今の豊川用水に関わる施設建設が始まりました。
――水源はどこにありますか
西橋
豊川用水事業として建設された、宇連ダムの鳳来湖が水源になっています。しかし、それだけでは不十分なので、天竜川流域のルートを変更して導入しています。そのほか佐久間ダムからも別途に導水しています。
ただし、静岡県内の河川から取水するため、古くから水争いの歴史もあります。静岡県を流れる天竜川には大入、振草という小さな流域変更施設がありますが、その一部が愛知県にあるのです。そのため、愛知県で降った雨は、愛知が利用しても良いだろうとの発想だったようです。
豊川用水の建設がはじまった前後には論議が始まりましたが、天竜東三河特定地域として指定され、アメリカのTVAと似た手法で佐久間ダムを確保し、総合開発への運びとなったのです。様々な論議を経て、ようやく佐久間ダムからの導水が決定しました。
そのときに、近接する静岡県湖西市にも農業用水と工業用水も、豊川用水から提供することになったのです。
――その間には事業者も変遷しましたね
西橋
工事は、昭和24年に宇連ダムの建設を最初に着手しました。豊川用水自体は、元は農林省の直轄事業として始まりましたが、愛知用水公団法の一部改正に伴い、36年に愛知用水公団に承継されました。そして43年に、水資源開発公団が統合されたので、事業主体は農林省から愛知用水公団、水資源開発公団と3者に跨って進めてきたわけです。
地域の中心部には、既存の水路がありますが、元は愛知県営の事業として進められており、松原用水は江戸時代から引き継がれている水路です。その一帯は水田地帯になっており、一方で東方に流れて豊橋市内に入ってきているのが牟呂用水です。これは明治時代になってから維新後に造られた水路ですが、その改築を県営で進めていたのです。
――工事はどのように推移してきましたか
西橋
工事は水源施設から国営事業に入り、東部幹線水路へと進められていきました。完成は、事業が公団に承継してからです。
二期事業が計画されたときには、既に全体が老朽化しており、その改修も含めて二千数百億円の事業費を見込んでいたのですが、今日の経済情勢から事業と事業費を半分以下に絞り込み、緊急性の高いものだけに着手する形でスタートしました。
全体構想で言えば、幹線から支派線まで機構の資産となっていますが、幹支線水路の総延長だけで660kmもあり、それをどう管理するかが最大の課題です。現在、二期事業に入っている支線には、共用施設や専用施設がありますが、工事対象は国営級のものだけなので、それ以外の設備をどう扱うかも課題です。
給配水管などは地下埋設されていますが、どこかで障害が発生すれば、その路線は次々と被害を被るので毎年補修していかなければならなくなります。現在は、愛知県寄りのエリアで補修箇所の多いところは県営事業として実施していますが、それを除いてもまだ500kmの延長があります。そのメンテナンスが、農業サイドから見れば課題です。
牟呂松原頭首工
――それらを民営化するのは不可能ですか
西橋
末端施設については、地元改良区に払い下げ、個人管理に任せるべき末端にまで、機構として着手する必要はなかったかもしれません。しかし、総延長550kmの中で、払い下げられる箇所がどのくらいあるかを詳細に調査するだけでも、相当の労力を要します。
実際に、過去には何度か試みられたようですが、やはり結果的にはそこまでには行けずに終わったようです。また、当初から改良区が管理している箇所は、そのまま委託するという方法もありますが、それでもやはり、管線を更新したり、ルート変更する場合には、様々な調整をする手間が要ります。
――常時維持されている平均水量や各水利者の受益面積は
西橋
大野という東西に流れている幹線水路が最大で30t、牟呂松原が併せて8〜9tになります。農業用水としては、それほど驚く量でもないですね。受益面積は2万haです。戸あたりの耕地面積では全国平均が1ha強ですから、2万haもあれば多いといえます。その他、この豊川市、豊橋市、郡部と併せて平均的に上水道では6〜7割を供給しています。
ただ、愛知県では県営の工事水道の中に組み込まれている地域もあり、東南海地震が懸念される地域もあるので、水源増強のために幹線をネットワーク化するなどの対策は必要でしょう。豊川市、豊橋市、蒲郡、御津などでは、古くから豊川以前に確保されている水源をそのまま活用しているので、豊川用水の給水率は6〜7割に止まっているのです。
――用水が供用される以前と以後では、地域の事情もかなり変わったのでは
西橋
最も劇的な変化が見られたのは、やはり渥美半島でしょう。その地域は、それまでは生活用水さえ不十分だったようです。地元の教員が著した古い児童向けの本では、豊川用水が敷設される以前の農家の生活が、どのようなものであったかが、克明に記述されています。毎日、渓流の水を汲んできたり、地下水を外で汲み出すという、不自由にして過酷な状態だったようですね。
私は沖縄に3年間、赴任していたことがありますが、離島に住む人の話と同じです。主婦の労働の大半が水汲みで、風呂に入ること自体が大変に贅沢なことだったようです。おそらく、かつての渥美半島もそのような時代だったようです。
東西分水工
――水資源の乏しさは、人々に過酷な生活苦を強いていたのですね
西橋
ただ、水田の多い渥美半島の北側では、用水路が江戸時代からあり、新城市などは川の港としてかなり栄えたとのことです。豊川市や豊橋市の上水道も、昭和一桁のうちに整備されていたので、他より遅れていたというわけではありません。しかし、半島地域はかなり大変だったようです。
――農業情勢も変わったのでは
西橋
豊川用水以前の昭和30年代夏場の畑作では甘しょがほとんどだったのですが、43年に完成し全面給水してからは、圧倒的に西瓜や露地メロンが増えてきています。作付面積の規模を見ると、昭和40年にはハウスが62ha、ガラス温室が225haしかなかったのが、平成13年にはハウス2,647ha、ガラス温室1,127haへと激増しているのです。作物も、秋冬作ではキャベツが圧倒的に増えています。
代表的な園芸作物であるキクも、昭和40年には131haだったのが、平成13年には1,368haまで延びています。圧倒的に違いますよね。水がいつでも使えるという状況は、作りたいときに作りたいものを作ることができるということなのです。
愛知県は、商工業はもちろん盛んですが大農業県でもあり、野菜類の粗生産額で全国を調べると、豊橋市が1位なのです。その他、田原市、渥美町なども、比較的上位にあります。
ただ興味深いのは、渥美産のキャベツにしても、東京の市場では渥美キャベツとしてではなく、豊橋キャベツの銘柄で出荷されていることです。メロンにしても高級品は静岡メロンとの銘柄で、渥美メロンとしてしているようです。
地域的な変化が最も著しい渥美は、海に突き出した半島になっており、土地がそれほど肥えていないのです。そのため、超一流ブランドを確立するには、土地がやせていることが壁になっているようです。反面、北半島で、かつて豊川が氾濫したところは土地が肥えており、畑作物は遙かに高額で取引されているようです。そのため、土地の肥力に併せてランクを決め、採算ラインの最適のところに合わせているようです。
――現在、行われている二期工事の概況と課題は
西橋
二期工事は11年にスタートしましたが、大野導水路から東西分水工を経て、東部幹線水路と西部幹線水路に分かれており、この二つの幹線水路に併設した水路を建設します。当初は本線から離れていないところに一本の水路を通していこうという計画だったのですが、トンネル区間も多く、しかも緊急課題ではないとの判断で、部分的に工事対象区間を削減しながら実施しています。
元からの本線については、全面改修ではなく、真に緊急性の高い箇所だけを改修をすることになりました。
事業着手した時は、既に国内では阪神大震災がありましたが、管内では、東海地震の強化地域が新城市だけが指定されていました。しかし、後には東南海と東海併せての強化地域指定として、名古屋市方面までが強化地域に指定されました。
そのため、事業は阪神大震災規模の地震波が来ても、第三者被害を与えない程度の強度を持たせることが原則になります。一応は震災も念頭に置いて補強・改修した方が良いと判断されるところは、着手していますが、震度6前後でも第三者被害が出ないようにとの視点には立っていないので、そのレベルの施工をどう事業化して採用するかが課題です。
何しろ国も県も市町村も公益企業団も、みな揃って財政難ですから、逆に節約するところを見出す必要があります。先送りできそうなところを先送りする代わりに、以前は大丈夫と思っていたところも、新しい強化指定の考え方に従ってどう変更していくかを、当面事業部として検討し、事業負担を調整していかなればなりません。
大野頭首工
――近年は、建築・土木ともに建設事業といえば、事業費のやみくもな削減に猛進しているきらいがあり、公共施設としての完成度に不安の残りそうな施工をしています
西橋
確かに、コストはかかっても、きちんと施工しなければならないところはあるのです。ただ、今までの国・地方自治体の公共事業の手法では、施工費を抑えるための創意・工夫がしづらい要素がありました。
例えば、私の昔の経験では仮設工法でフロントジェッキンがその現場だと最も安価なので、それを採用して設計を進めようと決裁を仰ぐと、「国営でやった事例が全くない工法を選ぶのは納得いかない」と、ストップされたりしました。つまり、施工例を重ねて「評価が高まってからで良い」という判断です。公共機関が発注する場合は、施工法として社会的評価が定まっている技術の範囲で採用することになってきます。
一昨年に特許を取得した施工事例は、5件くらいしかなく、その全てが民間工事での事例となると、書類だけでなく現地を見た上で最も適していると思われるものでも、採用しづらい仕組みがあったのです。
そのため、通常は国で調査し、評価の下された施工法ばかりを集めてきて、組み立てるという発想を基本にしているので、その前例がどこにもないというだけで担当者が二の足を踏むという心理もあります。独断で決意する自信は、なかなか持てないでしょうから。
――今後の見通しはどのような方向性で考えていますか
西橋
基本的には二期事業が半分ほどまで進捗しており、着工している部分の完成目標は20年度ですが、今の財政事情からすると無理ではないかと思います。その事情を利水者に説明し、納得いただける範囲で2年か3年伸ばしたいと思っています。そして支線水路をどう直していくか、方針を明確化することです。
また防災上、新たに対応する必要がある部分をわかりやすく説明して納得していただき、事業に取り込んでいくことになるかと思います。
さらに長い目で見ると、全体構想の期限をいつ頃に設定するかが一番の難題で、二期だけでも1,150億円の総投資ですから、千何百億という事業を、どの時期にどう具体化していくのかの決断は難しいものがあります。
――それだけ厳重な調査項目がたくさんあるということでしょうね
西橋
豊川では併設水路を造って、冬水を併設水路で流して冬はいつでも維持管理補修で改築できるようにしようという管理の時代を先取りした発想にしています。逆に言えば、併設水路を完成させてからでないと、本線の改築ができないので、効果が実際に発現するのが遅くなります。
予算がもっと配分されれば、早くから着手できたのですが、急ならんと欲すればかくならざりという感がありますね。もしも事業費ベースで発注済みであったなら、すでに4割近くの進捗率となっているのですが、老朽化がここまで進む前に着手しておきたかったというのは本音です。
本線ですでに、改築に着手したところは牟呂松原用水で、ここは順調ですが、肝心の東部幹線、西部幹線は、18年度後半くらいになる見通しです。
農業用水だけで、そこまで大きく二元化することがあるのかとの疑問はありますが、都市用水も供用していますから、一日断水すれば工業出荷額などの面で損害が明確に顕れます。農業用水だけなら、冬期用水だけでも使用量の少ないときに断水し、節約することは可能ですが、その用途間の調整だけでもかなり煩わしい課題となります。
――何しろ、地域にとってはライフラインですからね
西橋
例えば西部幹線でも東部幹線でも、あるいは大野頭首工でも、機能不全に陥って通水・出水が3日も不能となれば、7割方の上水道がストップします。特に、今では上水道のストックが一日分もないのです。かつては、どの上水道でも給水ストックは一日分くらいはあったのですが、現在では0.5日分くらいらしいのです。
理由は、経費節減にあります。どこの上水道も、事業費は一般会計から繰り入れて補充しているように、工業用水にしても経営状況は厳しいので、本来なら上水道を仮に持っている排水機などを拡充してセキュリティに対応したいのでしょうけれど、イニシャルコストもランニングコストもかかるために、実現はなかなか難しいようです。
ただ0.5日分でも、事前に豊川用水で断水すると事前に理解し、正しい時間蓄水に入れば2日か3日分は確保できるでしょう。
何しろ、豊川は残念ながら渇水調整に入る頻度が、全国でも特に高いのです。農水省が大島ダムを直轄事業に追加したと言いましたが、その他にも万場調整池、蒲郡調整池などの水源増強を直轄事業で整備し、13年には完成しています。
しかし、それでもやはり14年は渇水調整がありました。15年は渇水調整を回避しましたが、16年が本番で、どこまでしのげるかが問題です。今現在、豊川の年間流出量の平年で3割以上も取水しているのです。渇水年であれば、4割を越えて取水しているのです。こんな川は日本全国にも見あたりません。コンスタントに3割を越えて取水してしまっている川は、まず類例はないのです。そのように、限界近くまで利用しているわけですから、天候不順にでもなれば、直ちに渇水調整が必要になってしまうのです。
――心細い状況ですね
西橋
いざという時は、工業用水と農業用水が真っ先に節約されます。それで工業用水のユーザーからは非難されるのです。「本当に水が欲しいときには、いつも渇水調整だ」と。また、現在、最も気がかりなのは東南海地震対策です。どこまで利用対策コストが収まるのか、その事業費を検討している最中です。
――震災によって、用水関係施設自体が災害の原因になる可能性はありませんか
西橋
旧い本線はオープン水路になっており、標高の高いところを通っている箇所があります。標高の高いところを無理に開水路にしており、そのときにフィルダムと同じ手法で形成された盛土の上に愛知用水の梯型の薄いランニング水路が乗っている格好です。そして、その水路の下には民家がたくさんありますが、山の裾ですから山から浸透してくる水もあるでしょう。
そこへ震度6前後の地震波が起きて、もしもこの法面が滑落し、上から水が一気に流出したなら、土石流になってしまうのです。そういう箇所は何が何でも手を打たなければなりません。そういう箇所のかなりの部分は、既に二期事業には導入されていますが、いかに早く手を打つかです。
従前は、農業用水路などは、耐震補強をほとんど施していません。例え耐震設計をした所でも、震度法で言えば、関東大震災クラスを想定しています。今日のように、地震波を与えて解析するまでの検討は加えていないでしょうし、そこまでやりだすと1箇所1箇所に事業費がかかりすぎて、非現実的です。
したがって、いくつかをモデル的に実施し、それをパターン化して簡便な手法で支障のない範囲を決め、それを網羅する形になるでしょう。

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