建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2001年3月号〉

interview

“資源創造型”のまちづくりで生田原を活性化

「文学」「おもちゃ」「温泉」で交流人口が20万人に

「生田原町長 林 照雄 氏

林 照雄 はやし・てるお
昭和 10年 10月29日生まれ
昭和 29年 道立遠軽高等学校卒業
昭和 43年 自治大学校卒業
昭和 29年 3月 生田原町役場採用
昭和 39年 2月 教育次長
昭和 45年 7月 企画室長
昭和 47年 1月 総務課長
昭和 55年 3月 助役
平成 元年 4月 生田原町長就任 現在3期目
北海道東部、網走支庁管内の中央に位置する内陸のまち・生田原町は、知る人ぞ知る文学のまちとして売り出し中だ。一方、町長の林照雄氏は、公共温泉開発の先駆者でもある自称“温泉町長”。この12年間、生田原のまちづくりの先頭に立って奮闘してきた林氏に、その取り組みについて語ってもらった。
――まもなく町長としての12年間を終えますね
私は12年間、この小さな自治体の中で、どのようにまちの活性化を図るかを考えてきました。生田原は活用できる資源が乏しいので、既存の資源を活用する観光開発は望めません。
 そこで、生田原独自の資源を創造する、いわば“資源創造型”のまちづくりの必要性を痛感しました。結果としてそれは、「文学」「おもちゃ」「温泉」によるまちづくりとして、一定の成果を上げることができたのではないかと思っています。
――具体的にはどのようなことを
まず「文学によるまちづくり」については、「文学フォーラム」を開催し、短歌賞・俳句賞を募集して発表会を行ったりしています。今では会場や宿泊場所の確保に困るほどです。遠くは九州、沖縄からもたくさんの応募が来ています。これにより年間1万人くらい、交流人口が増加しています。
「おもちゃによるまちづくり」については、「ちゃちゃワールド」が平成10年にオープンしましたが、ここは、世界の木のおもちゃを集めて展示する施設で、現在は、年間8万人ほどの来客数に上っています。
一方、「温泉によるまちづくり」に取り組んだのは、公共温泉が注目を浴びる前の時期でしたから、ずいぶんと苦労しましたね。今では100%の天然温泉が自慢の「ホテルノースキング」に、立地場所の良さ、料金の安さから年間12万人が訪れます。
したがって、「文学」「おもちゃ」「温泉」の3つを合わせて、年間20万人程の集客が期待できますね。これらが何もなかった時代には1人も人が来なかったわけですから、文字通りゼロからのスタートでここまできたというわけです。
 私は活性化というのは、人と物とお金の移動だと考えています。人が来ない限りはお金が動かず、人が来れば物が動くわけだから、物が動けば金が動くということです。そういう意味では、これら3つの事業で活性化の効果が十分にあったと言えるのではないかと思っています。
――「文学」に着目した理由は
ある時、町民である1人のお年寄りから、私宛に手紙が届きました。「私は俳句を詠んでいますが、何とか自分の俳句を石碑に刻んで後世に残したい。しかし、個人ではできないので町として実現してほしい」と。
このお年寄りの提案が、「文学によるまちづくり」を進めるきっかけとなりました。その後、「オホーツク文学館」、「オホーツク文学の道」などハード面での整備を進めてきましたが、ソフト面でも先に述べた俳句賞・短歌賞に加え、「吟遊詩人大賞」のコンテストを行っています。これは全国でも生田原町だけです。吟遊というのは肉声で詩を表現するものですが、私は初めて見たとき、あまりの見事さに驚きましたよ。
 確かに、生田原から有名な詩人や作家が輩出されたわけではありませんが、今では「文学といえば生田原」と言われるくらいに成長しつつあると思います。町民が作品を発表する文芸誌も発刊するようになりましたし、生田原に文学の灯が点ったのではないかと思いますね。
――「おもちゃ」と言えば「子供たち」が主役ですが、「ちゃちゃワールド」は生田原の子供たちへのメッセージとも言えそうですね
おもちゃというのは子供たちの夢です。そこで「ちゃちゃワールド」の収益は子供たちに還元しようと、その収益の一部を使い、昨年から町の中学2年生全員に短期の外国旅行をプレゼントしています。
 21世紀の時代を担うのは今の子供たちなのですから、何とか子供たちに夢と希望を与えたい。それに国際化時代と言われながら一度も世界に触れる機会を与えないのでは真の国際化とは言えません。生田原のこれからの中学生は、若い時に外国を経験することで、人間形成に役立てて欲しいと思っています。
――一方で、そうしたまちづくりを行うにあたっては、産業の振興を図り、経済的に自立していくことも求められますね
生田原は酪農を中心とした町ですが、農業収入は減少傾向にあります。農業についてはこれから高齢化も進みますので、大面積でなく小面積で高収入を上げるよう方向転換すべきだと思います。
 そこで必要なのは水の確保で、国営のかんがい事業に本格的に取りかかっていきます。また網走管内では最低だった農業基盤整備、さらには、平成16年度までに家畜糞尿処理対策を行う考えです。愛別に次いで北海道で2番目の生産量を上げているキノコ産業は、産業奨励の成功例として残っています。小さい自治体ながらも、産業振興には努力していかなければと思っています。
――最近は、自治体合併論が盛んになるなど、生田原のような小規模自治体にとっては厳しい時代では
広域行政は必要だと思いますが、私は基本的には合併には反対です。合併は面積の広い北海道では不要です。
例えば、平成12年に提案された道の合併案によると、生田原周辺は7ヶ町村が合併する「市制施行」型案でした。仮に合併すると、ほぼ東京都と同じ広さに人口がわずか4万4千人。だから現実問題として反対せざるを得ません。
――最後に、次期に向けての抱負を
まず、高齢者生活福祉センターの建設を平成14年度に着手したい。そして最大の課題は下水道の整備です。莫大な資金が掛かりますが、網走支庁管内で未整備なのは生田原だけなのです。
私としては、最大限に町民の要求を聞いて行動していく方針です。経済が落ち込んでいる今こそ、一番大事な時だと考えています。

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