建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2003年7月号〉

interview

まちづくりを通じて建設需要を創出

雪だるまの銀座出張展示で奮闘

横関建設工業株式会社 代表取締役会長 武内一男 氏

武内 一男 たけうち・かずお
昭和 28年 横関建設工業入社
昭和 53年 代表取締役 社長
平成 10年 代表取締役 会長
【公職】
函館林業土木協会 理事
(社)北海道林業土木協会 会長
北海道職業能力開発協会 理事
(社)北海道建築士事務所協会 理事
(社)全国林業土木建設協会 副会長
ニセコ・羊蹄の明日を築く会 会長
くっちゃん未来21雪ダルマの会 会長
倶知安町住まい造り実行委員会 会長
後志建設事業協会 会長
北海道倶知安町の横関建設工業は、大正9年に設立し、道路橋の整備で実績を残してきた。だが、単に公共事業の受注を待つのでなく、まちづくりのアイデアを行政に提案するなど、建設需要を創出するための広域的な取り組みも積極的に行っている。その先頭に立つ武内一男会長に、まちづくりのポイントと業界事情などを伺った。
――会社としての創業がかなり古いのですね
武内
大正9年に、土木工事を主体としてスタートしました。横関峰太郎という創業者は、かつては、北海道庁に勤務して、この地にその出先事務所があったことから、ここで土木を始めたということです。当時に計画された国道橋は、ほとんどが横関峰太郎が手掛けたことから、その維持・補修も含めて「橋の横関」と呼ばれていました。
一方、建築工事にも携わっており、割合としては7:3くらいで、昨年の収益比率は、建築が12,3億円に対し、土木は30億円くらいです。
――町営住宅の施工を現在、進めているようですが、豪雪地帯なので、施工法も特異なものになるのでしょうか
武内
豪雪地帯における個人住宅などの家屋建築を、どうすべきかについて、これを検討する倶知安住まい造り実行委員会を設立しました。私が会長となり、豪雪地帯にはどんな住宅が望ましいのか、全道に意見を応募し、倶知安型住宅というものを確立しました。
概略は、床を1.2mほど高くした高床式で、バリアフリー仕様として廊下に手すりを付けるなど、様々な基準とモデルを2年ほど検討してまとめたところ、それが普及して今では後志型住宅へと拡大しました。実際に、地元には白雪団地がありますが、それらの基準にしたがって整備されたものです。
また、当会のスタッフが、イタリア・ドイツ・フランスなどを自費で訪ね、現地の団地を見学し、その経験を生かしてサンモリッツ団地という住宅団地を、倶知安型住宅として建設しました。施工には、町内の倶知安建設協会員が総出で当たりました。
――サンモリッツとの接点は
武内
スイスのサンモリッツとは、町が姉妹提携によって交流していることが機縁です。その団地の一角には、サンモリッツに関する展示コーナーを設置しています。したがって、ここは「東洋のサンモリッツ」と名付けています。
このようにして、私たちはいろいろな技術を蓄積していますから、倶知安建設協会員として様々な提案をしています。今後は雇用機会と建設需要が与えられるのを、ただ待つのではなく、自らが地域を魅力あるものにするには、どうしたら良いかを考え、建設需要を掘り起こすことにしています。
――建設業は、その業態からどうしても受け身になりがちですね
武内
地域で頑張っている地場建設業者には、3つのタイプがあります。地域に貢献し、地域づくりに携わりながら、自社の利益も得られている会社、逆に、地域には無関心で、自社だけ良ければ良いという利己的な会社、良いことも悪いことも判断がつかず、ただ付和雷同的に生きている会社の3つのタイプです。
そうした実体を見極めず、社会のために汗を流す会社さえも評価せず、建設業界に批判的な意見だけが世論になりつつあり、ノーマルな意見は萎縮していく傾向が見られます。
――業界再編に向けて後志管内の建設業界の取り組みは
武内
後志建設事業協会員について見ると、全道の中でも意識が高いと思います。再編整理の時代に、安易に合併に向かうのでなく、まず自立の道を模索し、その次に合併を考える姿勢が見られます。
建設会社は、傘下にいくつか下請け企業を抱えていますが、その下請け企業は、元請け会社が受注したら、自動的に自社に発注があると、決め込んでしまっています。そのため、コストを下げたり、技術を向上させるなどの努力をしなくなってきています。
しかし、今後はもはや護送船団方式ではなく、下請け、孫請けの末端に至るまでコスト計算をし、自立する意識が必要です。その意味では、この後志地区は、その取り組みが進んでいる地域です。
――自立に向けての具体的な事例は
武内
私は昭和62年からニセコ・羊蹄の明日を築く会という異業種の会を作り、この町が良くなるための16の提言をまとめ、山麓の人々に集まってもらい、それを発表した上で、国や道にも陳情しています。それが採用されて、完成したもののみでも75億円の予算措置が実現しました。その内容は、ハード、ソフト両面にわたるので、関係者全員が何らかの事業に携わっており、こうした成功例を東京から見学に来る人もいます。
町には美術館や学校がありますが、その周辺の町道は大型車の通行が多く、学童の通学には危険です。そこで、その町道を国道として認定してもらい、国道として整備をしてもらうのです。それによって子供が守られ、地域に住宅も建つようになります。これは町を通じて国に提案したいと思っております。
また、倶知安の農産物におけるハネ品の有効利用です。現況では、規格に合わない玉ねぎを、ブルドーザーで踏み潰して廃棄していたりします。しかし、味覚が劣るわけではありませんから、直売所を設け、そうしたハネ品を安価に販売することも考えられます。そのための施設を整備してもらうよう道農政部に依頼したら、理解が得られました。そうした提案によって、建設需要と雇用の創出に繋がります。
――北海道は官主導でまちをつくってきましたが、今後は民間からの提案によって、作られていく方向性ですね
武内
魅力というのは人を引きつける力だから、魅力のない地域には人は来ません。公共事業ありきではなく、魅力ある地域をつくるための副産物として、建設需要が創出されるのが、本来の姿です。経済は循環であり、私たちはその中で、地域に育てられたわけですから、地域のために良い仕事をしなければなりません。
――自立とはおよそ無縁と思われた建設業が、自立し始めたのは、劇的な変化だと思います
武内
建設業は古くから、土臭い慣習とイメージを引きずって来ました。そのため、「土建屋」とか「成金」といった従来の負のイメージがありますが、それを払拭するには、地域のために、人並以上に汗を流し、尊敬されるような企業へと脱皮をしていくとことが大切です。
――建設業は、人目につかないところで貢献していることが多いため、広く認識されづらい面があると思います
武内
自己宣伝などをせずとも、人々が理解できる仕組みを工夫することも、業界として必要です。何しろ、経済団体での格付けや序列でも、建設業はかならず最下位であったり最後になっています。それが建設業への評価であるという現実で、そうした評価、意識を変えていく取り組みが、地域でも大事ではないでしょうか。
――町の発展に必要な産業は
武内
一次産業を主産業とする町ですから、農業が発展しなければ町も活性化しません。毎年、10月10日にはこの町では金比羅さんの大祭がありますが、その頃は収穫の時期でもあり、出店の人が農家に出来具合はどうかと尋ね、それに対して今年は良いとの答えがあれば、商売も繁盛すると判断するそうです。つまり、農家の景気が良ければ、懐がゆるみ確実にものが売れますが、そうでない時は売れないとのことです。農業の発展は町の経済発展に直接的に繋がっているのです。
――農業が、町内経済のバロメーターなのですね
武内
だから農業政策は大切です。昭和47年に、日本の農地面積は600万ヘクタールだったのですが、今日では480万ヘクタールに減反されました。そのため、カロリーベースでの自給率はわずか40%です。農水省は平成22年までに45%に引き上げる目標値を立てましたが、フランスは176%で、それ以外の国も、最低でも70%くらいです。日本だけが、なぜ40%なのかはなはだ疑問です。したがって、農業をもっと拡大しなければ、日本そのものの将来が危なくなる可能性があります。
しかも、最近は後継者がいないので、経営が維持できなくなり離農する件数が増えています。私は、倶知安農高の振興会長も務めているのですが、政府が後継者の育成に国策として取り組めば、農業の繁栄につながると考えています。農村が栄えなければ、農業も栄えません。
また、今までは農業基本法そのものが、単に生産性を上げることを主眼としていました、今後は食と農、流通など、様々な観点や分野において改革されていく方向にあります。したがって、様々な規制によって農家を拘束している農協の体質も、根本的に変わっていく必要があるでしょう。
――ところで、この地域はかなりの豪雪地帯ですが、東京都中央区銀座で雪だるまを展示するという、珍しい取り組みをしていますね
武内
今年で14回目になります。倶知安の雪を売り込む方法はないかと、夜明けまで若い人々と議論した結果、子供が喜ぶのは雪だるまだろうという発想で、「君の名は」で知られる銀座の数寄屋橋で、実施することになりました。ところが、都内の気候の下では2時間ももたないのです。スタッフが塩を買って混ぜてみましたが、やはりダメでしたが、東北の沢内村で雪から水分を抜く技術を研究していたことから、それを採り入れて24時間は保つようになりました。
パークホテルの支配人に許可を得て、玄関前に3体作ったら、親子が来て、これが本当の雪だと感動していました。
――実現に向けては苦労もあったのでは
武内
実施許可を得るのに、22回も東京へ通いました。築地警察署でも、中央区でも許可が下りなかったのです。22回目に中央区を訪問した時には、いよいよこれが最後かと、半ば諦めの心境で、雨の降る空を見上げながら、開催地を大阪に変えようかとも考えました。窓口の女性職員からの回答は「この件は却下されているはずです」というもので、ついに断念して帰ろうとしました。
すると、先程の女性が「北海道の方」と呼びにきたので、タクシーを呼んでくれるのかと思い、「すみませんね」と言ったら、交通規制課に案内され、課長や係長が「企画の趣旨を説明をしてください」というのです。そこで再度、企画の趣旨を説明したら「本気ですか?」と疑うので、「どういうことでしょうか?」と尋ねたら、東京ではイベント会社に依頼するのが一般的なので、倶知安から80名も来て、自力でイベントを行うのは信じられないとのことでした。私は「イベント専門の会社があることさえ知りません」と回答しました。
課長の指示に基づき、土木管理課長にも同じく説明し、「本当ならば、警察署に電話をして許可をもらうようにします。間違いなく、この企画通りですね」と念を押され、「この通りです」と答えたら、すぐ連絡を入れてくれ、そうしてついに警察署からも許可が得られました。
後で聞くには、私たちが開催地として予定していた場所は、右翼団体の街宣カーがよく演説に使用する場所で、厳しく騒音規制されていた所だったのです。「わざわざ、最も規制の厳しいところで実施するのですね」と、笑われましたね(笑)。
そうして、第1回目は、警察の護送車やパトカーが警備に当たる中、スタッフは夜通しで制作や準備に当たりました。今では、その当時に警備を指揮してくれた警察の方が、後援会長を努めているほどです。区役所や築地市場からも、制作に役立つ機械を提供してくれ、手伝ってくれました。夜通し作業に当たる私たちに、差し入れをしてくれる人もいます。二人の茶髪の若者が、作業を手伝わせて欲しいと申し出てきましたが、けがをするからと断っても、何でも良いから手伝いたいというのです。そこで許可したら、夜通し一心不乱に真剣に作業していたのには感心しました。
――イベントの舞台裏には、いろいろなドラマがありますね
武内
近年では障害者のための施設を訪問し、そこで一緒に雪だるまを制作したり、滑り台を製作したり、倶知安町産の芋を贈呈したり、いろいろな交流に広がっています。
車椅子で、硬直したままの状態の子を、その子の母親と協力してビニールシートに乗せ、滑り台を滑らせてあげました。表情は全く変わらず無反応なのですが、その母が言うには「これまで、この子を育ててきて、これほど喜んだのを見たことがない」というのです。
あるいは、高校を卒業したばかりと思われる若い女性が、制作中の様子をテレビ報道で見て、寝たきりの父が、北海道出身なので、北海道の氷で水割りを飲ませてあげたいから、雪を少し分けて欲しいと要望しました。それで「ご近所ですか」と聞くと、自転車で30分もかかるところから来たというのです。ところが、雪をハンカチに包もうとするので、溶けないようにビニールの袋に入れてあげました。
そうして、イベント終了時などには、とにかく胸が詰まってご挨拶もできないほどですね。身障者の方々が、来年も来て下さいと、手紙をくれます。読めないような字ですが、思いが伝わってきます。本当にドラマがあります。これは、日常的な生活では得られない財産ですね。
――一方、ペルーとの交流も長年、続けていますね
武内
倶知安の馬鈴薯、男爵は、東京の築地市場ではキロあたり他の産地のものよりも300円も高い値が付いています。倶知安という名前だけで、それだけ高値で取引されるほどのブランド力があるのですが、あるとき、ペルーの大使から、馬鈴薯の発祥地はアンデス山脈であるという手紙を頂きました。そこでペルー大使館を訪問して、大使に直接面会し、倶知安での講演を依頼しました。それがきっかけで、男爵イモの産地としての交流をしています。
こちらからは少ないときでも7人、多いときは10人くらいが訪問しています。その中には倶知安農高の生徒、教師も同行します。そして、現地の馬鈴薯を輸入し、農高で耕作していますが、その種を大きくして、農家に託し、3年後に産業化しようと考えています。単に男爵ばかりを生産するのではなく、糖尿病に有効な馬鈴薯や、高血圧に有効な馬鈴薯、女性の美容に良い馬鈴薯など、性能野菜として抽出して出荷し、農業収益を上げていこうという考えです。
将来は、やはり農業と建設業がコントランス方式でお互いに助け合う仕組みを確立しようと考えています。

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