建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2003年6月号〉

interview

建設業の苦境は不況のせいだけではない

あくまでも本業に専念

有限会社今村組 代表取締役社長 渋谷 哲 氏

渋谷 哲 しぶや・てつ
昭和26年生まれ、東京都清瀬市出身
東京工業大学工学部土木工学科卒
昭和 51年 4月 株式会社熊谷組入社
昭和 61年 3月 株式会社熊谷組退社
昭和 61年 4月 有限会社今村組入社
平成 4年 2月 有限会社今村組代表取締役社長就任
現在に至る
東京都清瀬市の(有)今村組は、創業100年の実績を残し、地域に貢献してきた。職人として絵に描いたような、頑固一徹で潔く生きてきた父親の薫陶を受けて、現在の同社を運営するのは渋谷哲社長。不況を嘆く近年の趨勢にクギを刺す。
――こちらは創業して何年くらいになりますか
渋谷
現在の体制になってから44年ですが、事業を興したのは4代前ですから、100年くらいになります。私の祖父の時代には建築と土木が半々くらいで、公共事業が少ないため、民間の建築工事を受注しなければ、当時は経営が成り立たなかったのではないでしょうか。
――都内の地場建設業界の現況は
渋谷
建設業には大手ゼネコン、地場ゼネコン、大都市周辺の地場中小建設業者の三通りがありますが、最も厳しい経営環境にあるのが地場中小建設業者であり、同時に、真に企業としての姿を見せているのも地場企業だと思います。というのも、地場企業は地元での受注が中心となりますが、地方都市の年間土木予算に対して、東京都近郊の都市では、わずか数億円でしかなく、地場建設業の育成という政策もわずかです。そうした中で、経営を維持しているわけですから。
また、建築事業にしても、建設コストとは家屋、建築物の工事費を指しますが、都内では用地費の比重が大きいのです。転じてみると、住宅の価格だけを比較するなら、積雪寒冷地である北海道の住宅よりもむしろ都内の方が安いと思います。何しろ、ぎりぎりのコストで建設しているのです。
――公共事業は総量が減り、デフレ不況の中で建設会社は全国的に苦戦していますね
渋谷
建設業界の苦境は、仕事が多い、少ない、好況・不況というところにあるのではないと思います。公共事業減少の背景に、マイナスイメージが先行しているのではないかという思いも、ないわけではありませんが、そうしたイメージは、すでにオリンピックの頃からあったのです。
バブルが弾けて業界が不況になったとよく言われますが、それはあくまで政策的な不況であり、そうではなく、建設業においてやりたいことのない人が建設業に参画していることに問題があるのだと思います。単に、儲ける手段として参入したために、方向転換するのも難しいのです。
そもそも近年の建設業界は、不幸探しをしていると感じます。自由な体制で、誰もがそこそこに生活が成り立っているわけでそれでどこが不況といえるでしょうか。
近年は、どこの会社でも人員削減が行われていますが、この3年間、仕事がないから監督を5人減らし、5年後にまた仕事が増えたから5人補充した場合、その会社の状況はリストラ以前と同じではないのです。例えば、その5人を雇い続けた会社があれば、これら二つの会社は、同じ条件ではありません。なぜなら、その5人はリストラされずにいた5年の間に成長しています。しかし、リストラした後に新規補充した場合は、スタッフに継続性がないため成長もないわけです。同じ型枠大工を、10年経験した人と、5年経験した人とでは、どちらが優秀であるかは自ずと答えが出ます。したがって、現在の経費を削減するということは、将来に対する投資を削っていることにもなります。
仕事というものは、官庁であれ民間であれ、自分でつくっていかなければならないのであって、そのためには、人々が何を考え、何を求めているかを知ろうとするとする努力が必要です。
工事を発注するにも、裕福な人は、いろいろなアイデアや希望を実現できますが、資金に困っている人もたくさんいるわけです。そういう人に対して、自分の会社がどれだけのことをできるか、それをともに考えてあげることが、少なくとも地場企業の役割として最も大切なことだと思います。そして、その仕事を実現していく過程の中で不況は一つの要因でしかないと思います。
――こちらは、どんな会社でありたいと考えていますか
渋谷
会社経営としては、健全経営で来ており、当面はリストラをする考えはなく、会社や個人資産で補充して維持します。その間に、受注を増やす努力をして建て直す考えです。仕事は、つくっていくものです。もしも予定通りに行かなければ、財務状況を社員に公開する方針です。
バブル景気の頃には、当社もかなり忙殺されましたが、私はそもそも、それだけで一生を終えるつもりはありませんでした。バブル崩壊で仕事は減りましたが、逆に余暇時間はできました。その時に、私の心に起こったものは、建築事業に携わりたいという意欲です。
会社を興したときに、なぜ会社を興すのか、私自身が職人としてやりたいことは何か、確固たる目標が会社には必要だと思っていました。社員にとっても、本当に魅力がある会社かどうか、待遇だけで社員は動くものかどうかをひたすら考え、そしてトップには、強烈な何かが加味されてこなければならないと考えました。
――よく、カリスマ性やリーダーシップなど、トップの魅力というものが、社会的に問われることがありますね
渋谷
トップの魅力というものは、つくっていくものであり、その努力を怠ってはならないと思うのです。不況を理由にして、諦めてはなりません。
工事を受注したとき、私は常に、施工が全て終了して現場を引き上げる瞬間の自分の姿を想像します。そのときには、このような姿で引き上げたいという理想像を描きます。その理想像に向かって、コストや施工行程その他のマネージメントをしていくわけです。

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