建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2002年12月号〉

interview

森づくりで地球環境を保全

川田工業(株)取締役社長 川田章博 氏

川田 章博 かわた・あきひろ
昭和27年 1月 16日生
昭和 45年 米国カリフオルニア州ハッピイバレー・ハイスクール卒
昭和 46年 道立帯広柏葉高等学校卒
昭和 49年 米国カリフオルニア大学バークレイ本校卒
昭和 50年 川田工業株式会社入社
平成 4年 4月 穂別町教育委員会 教育長
平成 10年 11月 川田工業株式会社取締役社長
平成 4年 4月 株式会社カルテック取締役社長
平成 6年 6月 株式会社カワタ・ビーアイシー取締役社長 現在に至る
<主な公職>
帯広商工会議所副会頭
JICA(国際協力事業団)北海道国際センター講師
帯広市総合計画策定審議会委員
帯広畜産大学外部評価委員
日本旅行作家協会会員
北海道モルトウイスキー協会理事長
フィジー ヤサワ島 名誉島民
川田工業は、農業を営んでいた創業者が、建設会社を設立。総合請け負い会社となった。一方、企業収益の地域還元のため現在、音更町と池田町の森づくりにも取り組んでおり、自然環境を保護する形で地域貢献を進めている。十勝を中心に発展を続ける同社の川田章博社長に、地域における役割などを伺った。
――川田工業の来歴を伺いたい
川田
川田工業の発祥は音更で、少し珍しいケースかもしれませんが、創業者である現会長は、かつては農業を営んでいました。川田家は、戦前には大規模な土地を有する地主で、そのまま農家としての道を歩むと、いずれは農業組合の専務や組合長職に就いていたと思います。しかし、現会長が、木材会社の代表取締役に請われて、その会社を経営したのが建設業界に入るきっかけとなりました。
そして、昭和33年12月に川田工業を設立しました。創業から10年ほどは、音更を中心に受注していましたが、帯広に進出したのは、音更町長選で支援した人が落選したことがきっかけでした。しかし、お陰で踏ん切りがつき、むしろ良かったと思います。
かくして、川田家は、帯広では知名度が高くはありませんが、十勝管内の農業関係者の間では知れ渡っていました。このため、開発局や支庁などの農業基盤整備にともなう工事では、川田の名前を知っている農家が多いお陰で、仮にトラブルが発生しても、行政が対応するより現会長が対応した方がスムーズに解決するケースがあり、この意味で大変良かったと感じています。
――帯広に進出してからは、どの分野で受注実績を残してきましたか
川田
一時期は、建築の受注実績が道東でトップでした。当時のウエイトは、建築7割土木3割合でした。しかし、オイルショックで資材が高騰し、建築主体では不安定だと考え、建築を抑えて逆に土木にウエイトを置きました。現在は半々くらいの比重へと変えています。
――舗装会社も経営していましたね
川田
大扇道路(株)は、昨年、当社と合併しました。舗装会社は音更に本社があったので、管理しづらく、また情勢も舗装だけでの発注は減っており、路面下を土木業者、路面は舗装業者が施工する工事を一括で発注するケースが増えています。
そこで、合併した方がきめ細かく対応できると考え、昨年の6月に川田工業と合併したわけです。現在は、土木舗装本部の体制で、一体的となって仕事をしています。人間も相互相乗りをして一元管理のもと、土木・舗装を両方できるように技術職も育成している最中です。
――業界再編の必要性が論議されていますが、これに関する見解と対策は
川田
欧米の事情を見れば解りますが、この建設業界自体は、絶対的に縮む業界です。これほどの業者数が、今後とも現状のままで成り立つ筈はありません。国が発展途上の時は、大幅に建設関連投資が行われるのは、至極当前の事ですが、これから長い間には、必ず淘汰されることは欧米が先に示しています。
こうした状況になると、我々の選択肢は資金的余裕のあるうちに業界から去るか、石にかじりついても業界に残るかの、二つしかありません。ただし、どちらの場合も問題は多々あります。残ろうとする場合には、経審の問題があります。今の経審基準を満たすならば、かなりの数の技術職を抱えなければなりません。厳しい時代になれば、一般管理費を減らさなければなりませんが、こと公共事業を施工する上では、それは不可能です。何しろ、受注額が1千万円の現場でも1億円の現場でも、必ず技術者一人を派遣しなければならず、非常に効率が悪いのです。
また、これまでは入札価格の99.8%程度で受注していたのが、下手をすると80%台に落ち込むような状況が現在、公共事業で発生しています。これが恒常化していくと、一現場あたりの収支を圧迫することになります。従来よりも10%近く収入が無いわけですから、業界全体が共倒れになる可能性があります。しかも、資材の単価と労務単価は、従来のようにはいきませんから、これらも利益が上がらない大きな要因になっています。その上に発注量が減ることで、三重苦、四重苦のマイナス要因を背負っています。
したがって、この状況で存続し続けていくことは、非常に難しい。特に受注規模が10億円以下の場合は、さらに厳しいと思います。一件辺りの受注金額が1千万円や2千万円ほどなのに、それでも技術者を一人置かねばならなず、そうした現場を多く持つ場合には、それに対応するだけの技術者を雇用せざるを得ないわけです。
しかも、人数を抱えている割には、一件辺りの一人の生産額は上がりません。効率性においては、深刻な問題が残ります。大規模な会社であれば、まだ調整のしようもありますが、小さい会社ではそうもいきません。業界の悩みはここにあります。
――新たな受注先、または新規産業の台頭で需要が拡大すれば良いのでは
川田
しかし、北海道は今のところ、新たな受注先、産業が起こる状況にはありません。30年ほど前の北海道には、域際収支において2兆円の赤字がありました。それが、いまだに続いています。つまり、今日に至るまで、新たな収入源となる新産業が、何一つとして起きていない状況が、この北海道です。この間に、一体、何をしていたのかと思いますね。
結局、国におんぶにだっこで、本来、先人たちが切り開いた夢や未来などを、私達の代になって忘れているのだと思います。この状況を打破していくことは、並大抵のことではありませんから、もう一度、原点に戻らなければならないと思います。
――商工会議所副会頭の目で見た地域経済については
川田
他地域と比べて、十勝を食糧自給基地として、政府が維持しようと考えている間は恵まれています。ただし、ご他聞にもれず、情勢は厳しくなっていることは事実です。
今後は、どういう取り組みをしていくかが重要です。次の時代と世代を見据えて、何を今後の経済戦略として売り出すのか。例えば農業製品なども、今までは単に原材料だけを供給してきました。しかし、これからは付加価値を高めていかなければなりません。また、現時点で小麦は政府による買い上げ作物だから良いのですが、これが自由化されれば、十勝の経済は成り立たなくなります。その辺も含めて、どう政策転換していけるかですね。
――会議所としての有効策は
川田
会議所としては、企業を色々な面でサポートするとともに、新しい産業の創出も課題です。マチづくりに大きく貢献しなければならず、どんな種を蒔けるかが勝負だと考えています。ただ問題は、現在の課題が多すぎて、一つの問題を解決してもまた一つ出てくるという状況です。
しかもその問題が大きく、なおかつ重要ですから非常に頭が痛い。この地域も他地域と同じく、公共事業を中心とした建設業が最底辺層を占めていますが、これから脱却するためには何が必要なのか。これは北海道全体の共通課題です。
――建設業界としても、変わることが必要ですね
川田
例えば、建設業界が新産業の工場を造るとしても、新産業の創出、それへの投資が行われなければ、生き延びていけません。十勝について言えば、農業を中心とした産業の中で、新たな分野を創出していけるかが課題です。
現在、道は建設業界に対し、農業にも取り組むことを提唱していますが、その点について私は少し否定的です。単に作る農業ではなく、農業の中から新たな事業を自分達で考え、それに付随する産業を創出していくことが必要だと思います。しかし、官依存の建設業では、それは難しい面もあります。
例えば室蘭には鉄などがありますが、十勝と言えば農業です。しかし、全ての建設業者が生き残れるほど、農業に建設投資が行われるわけがありません。したがって、新たな産業をどう創出できるか、誰かが新たな種蒔きをしなければいけないと感じています。
――発注者への提言は
川田
建設業の現状については、行政側もよく理解しており、我々の思いも充分に理解されていると思います。ただ現在、行政はがんじがらめとなり、あまり活気がありません。かつては北海道開発を担ってきた誇りと、仕事に対する取り組む姿勢には、非常にシビアなものがあったと感じます。それが、近年はどちらかと言えば、業者任せで放り出している印象があります。
確かに我々の責任もそうですが、次の新時代の建設産業を考える時に、行政と我々とが二人三脚で取り組まなければどうにもなりません。ところが、我々が関係者と協議をしていると、とかく社会から非常に冷たい目で見られてしまいます。これが、本来は、もっと取るべきお互いのコミュニケーションを阻害していると感じます。
――今後の地域における川田工業の存在意義と役割は
川田
現在、企業モラルが色々な面で問われていますが、私たちとしては常に、「地域還元」を念頭に置いています。かつては、工事受注による収益で、オペラや国際的な講演会を開催、あるいは演劇を主催するなどで地域還元をしてきました。
現在はさらに環境保全をテーマに、音更では旧来、川田家が所有していた土地で森づくりを進めており、池田町でも創業35周年を期に、池田町の土地を取得して、森づくりを始めています。
音更町は、音更川沿いに残る河岸段丘林といって、流域が落ちた段丘の場所から森が繋がっており、非常に良い雰囲気の場所です。その河岸段丘林を保全する森づくりを進めています。
これは、川田工業が森を所有する周辺農家に協力を呼びかけて始めたもので、民間で森づくりをする珍しいケースだと思います。現在は、保安林指定を受け、森の保全をサポートしながら、開拓時代の農家を復元した資料展示場や散策路を整備して一般に開放しています。
池田町では、ワイン城裏手に所有する約450haの山林を緑化・保全しています。実は、この土地は、バブル当時に他の用途目的で購入したのですが、バブル崩壊後、この先100〜200年に渡って財産を残すために始めました。ここには若干の自然林も残っていますが、木が切り尽くされた場所が多々あるので、植樹などして保全に努めています。
この森も周辺の農家に呼びかけて進めているもので、何年後になるかは解りませんが、できればパブリックにオープンし、皆さんに散策してもらいたいですね。また北緯43度帯にある木は、かなりの種類を植樹したので、演習林としても使えると思います。
――環境保全に取り組む企業は、あまり数多くないと感じられます
川田
北海道開発の役割を担ってきた川田工業は、そのために随分と木を伐採してきました。ですから、今後は逆に還元する事業をしていきたいとの思いで取り組んでいます。
将来は川田工業のシンボリックな場所として、次世代に残す我々の財産としたいですね。

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