建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2002年11月号〉

interview

文化の香りある構造物の構築を

米寿を迎えた日本土木学会

北海道開発局長 平野道夫 氏

平野 道夫 ひらの・みちお
昭和20年12月3日生まれ、45年北海道大工卒。
昭和 48年 北海道開発局石狩川開発建設部第1課河川調査第1係長
49年 建設省河川局治水課直轄総括係長
52年 北海道開発局石狩川開発建設部札幌河川第1工務課長
53年 北海道開発局河川計画課開発専門官
54年 建設省計画局国際課長補佐
55年 サウジアラビア日本国大使館一等書記官
58年 北海道開発局石狩川開発建設部工務第1課長
61年 北海道開発庁水政課開発専門官
63年 北海道開発局河川計画課河川企画官
平成 2年 北海道開発局旭川開発建設部次長
3年 北海道開発局石狩川開発建設部次長
5年 北海道開発局河川計画課長
7年 北海道開発庁水政課長
8年 北海道開発局室蘭開発建設部長
10年 北海道開発局石狩川開発建設部長
11年 北海道開発局建設部長
13年 7月より現職
今年は、土木学会が発足して88年目となり、その米寿を記念する大会が、北海道で行われた。近年、土木の持つマイナスイメージから、庶民だけでなくこれに従事する人々までもが、土木という呼称から遠ざかりつつある。しかし、大会準備の総責任者としての役目を果たした北海道開発局の平野道夫局長は「土木こそは文化・文明の源であり、人間の暮らしに最も密着した技術」と主張し、土木と庶民との乖離を修復し、その再評価と再認識を訴える。同局長に、土木の意義と土木観などを伺った。
――11月18日は土木の日であり、それに先んじて土木学会も札幌で開催されました。しかし、業界も行政も、土木という言葉に抱く庶民のイメージを意識して、この言葉から遠ざかりつつあると感じます
平野
土木というのは、人間の社会生活が始まって以来のもので、木を切ることから始まる技術です。生きる知恵とは、食べるための知恵であったり、雨露をしのぐことですが、その生きるための行為すべてに技術が絡んでくるのです。
食においては、獲物を獲るための鏃の製造から始まり、それをもって打つ、砕くという作業が行われ、そして海に出漁するには船が必要です。定住生活が始まると、洞穴から出て住居を作ります。このようにして、技術は人間の生活の出発点から、その営みのすべてに関わってきます。
土木を英語では、シビル・エンジニアリングと言いますが、意訳すれば「私達の技術」となります。日本語では、土木という言葉は土と木で構成されます。土は大地、木は緑です。土はコンクリートとは違い、水分を含んだものです。私たちの生命に欠くべからざる水を媒介して、その上に緑があるわけですから、これは非常に良い言葉だと思います。かくして、土木というものは、最も身近で大切な技なのです。
ところが、文明が発達し、文化も高度に進歩し、それらが「私たちの技」から離れて独立した結果、土木はもはや身近なものではなくなり、いつしかそれに従事する人のためだけの、専門的な技というイメージになってしまいました。
何度も提唱されてきましたが、土木の二文字を分解すると、十一と十八になるので、11月18日が土木の日として制定されましたが、それは本来、「私たちの技」でありながら、市民から乖離してしまった土木を、もう一度身近なものに戻したいという思いが込められたものです。土木の日を契機に、土と木の技とはこういうものだと、皆さんに知ってもらうのが狙いです。
――全道で無数の工事現場を展開する開発局として、それを意識した取り組みは行われていますか
平野
これまでは、土木学会主催によるパネル展やシンポジウムなどが行われてきました。しかし、実際には直接、目で見ていただくのが最も効果的なのです。
そこで、今年は局としても、現地見学会を計画しています。本来は、どの現場でも行うべきなのでしょうけれども、とりあえずは土木系の大学や、高等専門学校のある札幌、北見、苫小牧、函館を対象に考えています。
見学者としては、できれば小中学生くらいが良いのです。彼らは、いずれはこの国、この大地を担う力ですから、純粋で素朴な心を持っているうちに、土と水と緑の技を知っていただきたいと思っています。これが「土木の日」のための、北海道開発局としての取り組みです。
――行政がどんなことをしているのか、一般市民が知る機会というのは少ないですからね
平野
シンポジウムも写真展も、個人的に興味があれば、それによって想像を膨らませるのでしょうが、現実にはそうした教育現場としての機能は果たし切れていません。やはり実物に触れ合ってもらったり、ミニチュアで見てもらうのが有効だと思うので、局としてはそこに重点を置いています。
――局長ご自身の土木観を伺いたい
平野
土木技術者というのは、一言で言えば「地球の医者」です。と言っても、地球が病んだから、地球の内部に踏み込んで治療するという意味ではありません。
私たちは、太古の時代に居を森林から草原に移し、そうして先ず村社会を形成してきました。これはつまり、森林だけに止まらず、地球上の至る所で人間による様々な営みが始まることを意味します。ただし、それは地球を害することなく、地球に受け入れられる形で行われなければなりません。
土木学会がスタートして80周年の年に、全国大会とは別に、横浜で創立80周年記念講演が行われましたが、その時、講演に立った司馬遼太郎氏は素晴らしいことを述べています。「土木技術を追求するのみでは、土木は現実には生きてこない。社会という、人間の体のような組織の真ん中に座っているものです」と。そして、「土木は環境の問題を考えずに成立することはあり得ない。これからの土木は、人体と同じような構造を持つ社会に対し、外科的な手術を施す学問であり、技術であると思う」と続きます。
さらに、この後には「ですから、そういう土木の道に入る学者や学生には、社会科学や自然科学、あるいは文学的なことについてもデリカシーが必要です。いわば教養のかたまりのような人ですね」と続きます。
非常に大切なことを言っています。私としては全く同感で、わが意を得たりと思いました。もっとも、氏が土木を「外科手術」と述べているから、私は「地球の医者」と主張しているわけでもありませんが…。
――つまり土木は、自然を破壊する技術ではなく、自然と調和し、共存共栄する技術でなければならないという意味ですね
平野
土木の素晴らしさとは、純粋に役に立つということです。空中に物を作るわけにはいきませんから、まずは地上を整備しなければなりません。また、地上それ自体に作用するとなると、そこを掘らなければなりません。その際、地下水脈に触れなければならない場合もあります。それに最大限の注意を払いながら、構造物を構築するわけです。
そうしてできた構造物が、多くの人々に喜ばれるのです。なおかつ将来にも遺産として残るのです。
ただし、遺産として残るためには文化の香りを持たなければなりません。それを担う者としては、やはり重大な使命感と言うものを感じます。
その立場にある者としては、もしもタイムマシンがあったなら、エジプトでもどこでも古代文明がどのようにして形成されていったのか、直接見てみたいものです。それが、現在の技に通じているのですから。
そして今度は逆に、2000年後、2500年後になってから、未来の人々の目にはたとえ幼稚に見えるとしても、「あの当時に、よくこのようなものを造ったものだ」と、後世をして感嘆せしむるものが、日本にあれば良いと思います。文化とは、そのようにして時代を超えて伝わっていくものだと思っています。
――土木への尊敬が薄れている今日、50年、100年の体系を見通すなら、その文化の根底が揺れ始めているのではないかと思います。その意味では、全国の中でも開発が遅れたために、まだまだ土木を必要とする北海道において、土木学会全国大会が行われたのは大きな意義があると思います
平野
土木学会が発足したのは1914年、つまり大正3年のことですから、今年は88年目で、米寿に当たります。
元来、土木学会というのは、1879年、明治12年の工学会というものが前身です。ただし、土木という言葉は使っていませんでした。それが大正3年に、古市公威氏が初代土木学会長に就任してから今年で88年目ですから、おめでたい年です。よって私はこれも記念すべき大会と考えていました。
それと同時に、北海道という土地柄か、過去から北海道は開催地として人気が高く、全国からの参加者がとりわけ多いのです。平成8年をピークに一時は下がり始めてはいましたが、昨年の熊本大会での参加者は約6,100名。今年は、申し込みが約7,000名に上りました。
もちろん、論文発表数も過去最高の4,326編で、記録を更新してしまいました。準備する側としては、嬉しい悲鳴ですね(笑)
――参加者の研究熱心さが、発表論文数にも現れていると思われますね
平野
そうです。学術発表のための費用は、今では実費として全額負担をお願いしています。それでも、過去最高の論文数ですから、これは非常に嬉しいことです。
先に、土木のイメージは暗いとの指摘がありましたが、土木技術が暗いのではありません。将来に向けて、地域がどうあるべきかを常に議論するわけですから、この学会は重要な会議の場であると思っています。
大会では、学術講演が各部屋に分かれて行われましたが、一方では22のテーマに分けて討論会も行われました。その中で、特に面白いと思ったのは、「どうなる?どうする!土木技術者」とか、サスティナブル・ディベロップメントと言われるメンテナンス工学の発表・研究でした。時代を象徴していると思いましたね。
この他、大会に合わせ支部の独自行事を行いますが、北海道支部では、「有珠」と「市民と地域の現代土木遺産」という2つのテーマで研究討論を行いました。
――土木において、従来の計画、設計、施工だけではなく、維持・管理という分野が重要になってくるということですね
平野
メンテナンスというのは大事です。私自身は最初に2年ほど現場を経験し、その後はほとんどを計画部門に在籍しましたが、計画段階から維持・管理のことを考慮しておかなければ、トータルコストが高いものとなってしまいます。単に作れば良いという発想は、今や完全に過去のものになったと思います。
よって、今後はメンテナンス工学というものが、ますます重要さを増してくるでしょう。よく聞く言葉ですが、ライフサイクルコストということです。また、既存のストックの有効活用も重要となるでしょう。
ただし、将来、後世の人々が、現代に整備された構造物を解体しなければならなくなった場合に、その中でも遺されていくものにしたいと思うなら、文化の香りのあるものを心がけて造らなければなりません。
――土木構造物が単なる消耗品にされないためには、土木技術者に要求されるものも、さらに高次元のものとなりますね
平野
それがまさに、司馬氏が主張するデリカシーというものでしょう。土木技術者は教養のかたまりでなければならないということです。
明治から大正にかけて、日本全国で整備された構造物は、今でこそ近代遺産になっています。その頃はストックもほとんどなく、いきなり造り始めていったわけですが、非常に高い文化の香りがします。だからこそ、遺産として残っているわけですね。その意味でも、当時の技術者たちは偉大であったと思います。ただ造れば良いという貧しい発想は持たなかったわけですから。

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