建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2002年10月号〉

interview

明日への社会基盤整備に貢献する建設業をめざして

札幌建設業協会副会長 坂 敏弘 氏 (勇建設(株)社長)

坂 敏弘 さか・としひろ
昭和18年1月29日生 (満59歳)
出生地 満州国 新京(長春)
昭和 41年 3月 武蔵工業大学電気工学科卒
【職歴】
平成 元年 8月 勇建設株式会社 代表取締役社長 就任
    7年 8月 北弘機工株式会社 代表取締役会長 就任
    8年 8月 北東建値株式会社 代表取締役社長 就任
【役職歴】
平成 4年 6月 大札幌建友会 理事
  10年 6月 全日本漁港建設協会北海道支部 支部長
 12年 5月 札幌建設業協会 副会長
 12年 5月 北海道建設業協会 理事
 14年 5月 札幌商工会議所総合建設関連部会 部会長
 14年 6月 北海道港湾空港建設協会 会長


勇建設は、発足当初から港湾土木に取り組み、歴史的にも価値ある現場を通じて技術を発揮してきた。不幸にして、前身である菅原建設の倒産という苦い経験から、その教訓を生かして堅実経営を堅持してきた。だが、坂敏弘社長は、「業界を取り巻く情勢は変化しており、単なる堅実経営だけでは生き残れない」と展望する。
――勇建設は、菅原建設に勤務していた先代社長が、戦後の日本の復興のために独立してスタートしたのですね
菅原建設は戦前にできた会社で、釧路・小樽に本社がありました。その後、札幌そして東京へと進出しました。戦後、朝鮮動乱などで一時は景気は良かったのですが、昭和28年頃から大不況となり、31年に倒産となりました。実は、菅原建設が会社更生法適用事例の第一号なのです。現在は、水戸に本社があり、完工高は40億円ほどです。地元には大洗港がありますから、港湾工事において、手不足となった時は当社の仕事を手伝ってもらうこともあり、お互いに協力し合っています。
菅原建設が倒産した昭和31年に、菅原建設の札幌支店が独立した形で、現在の勇建設を創業したのです。創業者である父親の話によると、更正法の適用で債権者対策その他の残務に追われる中にあっても、これから勇ましく進もうということで、「勇」建設という社名にしたとのことです。
――会社として掲げているスローガンはありますか
当社には、社則や社是はありません。倒産した会社としては、きれい事は言っていられませんでした。いかにして経営と生計を維持するかが大問題で、そこに会社としての原点がありますから、未だに制定していないのです。
先代は、倒産して給与が支給できず、生計が維持できなくなるかもしれないという不安な時代を過ごしてきたので、まずは借金をしないことを大鉄則にしていました。借金をせずに健全経営を目指し、下手に事業の多角化をしない。菅原建設は多角的な経営で、東京に本社を持ち、名古屋や沖縄にも進出して、全国展開した結果、倒産してしまいました。そのため、私達は堅実に徹するというのが創立者の意思ですから、私もそれを継いでいます。
また、勇建設には建築専門のスタッフもいましたが、次第に工事は土木が主体となってきたので、土木専門に徹して手を広げないできております。
――公共事業の総量は減少傾向にあります。生き残るための戦略は
建設業界、公共工事を取り巻く環境は変わりました。公共工事も縮小の時代に入っていますから、それを乗り切るためには、ただ堅実に、借金さえしなければ良いというわけにもいきません。いかに地域に貢献するかを訴えていく時代で、社会が存在を認める企業にならなければなりませんね。
――先代社長は、戦後の復興期に、アメリカ人の技術者や米軍とともに沖縄へ行き、港湾工事に携わっていたそうですね
菅原建設に勤務していた当時のことで、那覇港の施工に当たりました。沖縄はまだアメリカ領だったので、那覇港は米軍が施工したのです。そのため、どんな工事をどんな工法でどう施工したのかについて、データ・資料が日本にはないのです。
そのため、当時の那覇港の施工法について、北海道開発局の関係者などが聞きに来たりしたものです。
――そうした実績もあって、港湾工事では押しも押されもしない立場に立ったのですね
今や、当社の受注の6割強は港湾・漁港工事です。かつては、港湾工事がもっとも利潤の乏しい工事で、どの会社も受注したがりませんでした。しかし、倒産した会社としては、選り好みは出来ません。むしろ、港湾なら需要を確保できるかもしれない時代だったようです。積極的に港湾工事で実績を残そうとしたのではなく、これしかなかったために、もたらされた結果です。
こうした経緯から、当社は札幌に本社がありながら、港湾工事を得意分野とする会社となったわけです。本来なら、港のある小樽や室蘭、釧路、函館に拠点を持つ会社が担う分野ですから、札幌で港湾工事の会社というのは、珍しいですね。歴史の中での偶然ですが、米軍と那覇港を施工した経験、アメリカの技術、大型機械を使った経験が生きたのかもしれません。
――それだけの技術力を持った企業は、貴重です。従業員が140〜150人で、半分以上が一級の技術者というのも優れています
「技術の勇」と言われるようになりたいのです。当社では、技術者として現場に出るならば、一級土木施工管理技士のライセンスは必須条件、最低条件としています。ライセンスは持っていて当たり前のことですから。
――先代から培われてきた港湾土木のノウハウを結集して体系化すれば、偉大な知的資産となりますね
その点については、社内会議でも話が出るのですが、技術データは個々の現場代理人が持つ個人的資産でしかなく、その人間が退職したら、それとともに喪失するというのが現状です。やはり、それを全社としての技術・技能というレベルに高め、会社の資産として残していくことが重要ですね。
――明治20年に、C.S.メイクという北海道の港湾の父と言われた人が書き残したものが、現代でも新鮮だと評価されています。戦後の港湾整備における貴重な資料を持っているので、大切にしてほしいですね
C.S.メイクや、北海道の港湾整備に大変な貢献をした広井勇博士などが築いてきた歴史がありますからね。今も、北海道開発局では百年前に作ったテストピースの試験をしていますが、百年の時間が経たないと結果が得られないこともあり、そのデータは北海道の財産と言えるでしょう。北海道の環境、自然環境に対して先人がどう立ち向かったのか、それに対しての結果が、今まさに見えているわけですから。
――それだけの技術者集団となれば、コンサルタント的な機能を持つことも可能になるのでは
実はその点が、当社の弱点でもあります。北海道の建設業界全体に共通していますが、私たちは、図面に描かれたものを単に作るという生き方に慣れ親しんでしまったのです。
極端に言えば、図面を描くのは発注者・行政の役割と割り切っているので、コンサルタントやプランニング機能は、どうしても劣ってしまうわけです。作るということだけに、目を奪われ過ぎているところがあります。
そのため、行政がVEや公募提案型の入札を行っても、そうしたコンサルタンティング的な設計や、建設効果というものに対して、私達は疎かったというのが実態です。
従って、当社も、今後はそういうものに目を向けていかなければならず、それが地域に貢献することにも繋がるものと考えています。ただ、行政が発注したから、それに忠実に、いかに工期内で安く施工するかを考えているだけでは、良くないと考えています。
――最近は、入札制度の改正が行われ、競争も自由化されてきた結果、地場企業の活用が減っていると感じます。地場企業の存在意義が問われている局面と言えるのでは
入札制度の是正の趣旨は、私達も理解しています。しかし、私達は、地場企業として、工事施工以外にも、災害緊急時の応援体制や住民と一体となった地域づくり、まちづくり等の点で地域への貢献をしています。そういう意味で、私達は一市民でもあるわけですから、行政にはもう少し地場企業を温かく育成していただきたいと願うところです。例えば、公募する条件に地場企業への配慮をしていただきたいと思うものです。発注者の入札制度改革については、私達は受注者として対応していますが、本来、発注者と受注者はお互いに理解し、協力し合っていかなければなりません。従って、我々業界団体の意見も聞いていただきたいと思います。改革案ができた時点で、業界サイドからの意見・見解もできるだけ聞いていただきたいと願うところです。
――業界側の意見を聞くことなく、改革案が恣意的に決定したのでは、業界内に混乱を来しますね
改革を行うならば、事前に十分な説明が必要です。今回のランダムカットや、指名業者の非公表の実施は性急であり、業界内も混乱していることは確かです。モデルケースを設定して時間をかけて段階的に行い、その中で生じる問題点に対して、我々の意見も聞いていただきたいですね。
――公共工事の施工コストの抑制を求める声も高まりつつありますが
請負工事は工期が決まっているので、同じ成果のものを仕上げるためには、より効率的な工法を採用したり、人員のやり繰りをするなどの工夫と努力が必要になります。
一方、社会基盤整備のため、建設業界も安全で確かなものを作らないのであれば、業界としての使命を失い、単なる金儲け主義に陥ってしまいます。安かろう悪かろうでは済まされないことです。やはり、私達は、社会基盤整備の一翼を担っている、という自負を持つことが必要ですね。

【勇建設株式会社の沿革】
商    号 勇建設株式会社
設    立 昭和31年4月
建設業許可 平成6年11月2日 建設大臣許可(特-6般-6)第2011号
資  本  金 1億円
事 業 目 的 1.土木建築請負業並びに砕石販売及びブロック製造販売業
2.建設工事用機器類の販売及賃借に関する事業
3.土地・建物の賃貸
4.有価証券の売買
5.前各号に附帯する一切の事業
本   社 札幌市中央区北6条西14丁目 tel011-221-0171
 昭和31年、前身の菅原組倒産に伴い、同社の役員だった坂弘次郎氏(前社長)が資本金500万円で創立。港湾土木工事を得意とし、現在、受注工事の6割強を占める。現社長の坂敏弘氏は弘次郎氏の長男。
▲いさみ号 ▲雄冬岬トンネル
▲石狩湾新港

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