建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2002年10月号〉

interview

サハリンとの交流は両地域へのプラスがポイント

建設需要の創出にインパクト

稚内建設協会副会長 藤田幸洋 氏 (藤建設(株)代表取締役社長)

藤田 幸洋 ふじた・ゆきひろ
昭和30年3月29日生まれ
北海道稚内市出身
昭和 52年 3月 東海大学海洋学部卒業
昭和 52年 4月 東亜建設株式会社入社
昭和 55年 5月 同社を退社
昭和 55年 5月 藤建設株式会社入社
昭和 62年 5月 同社取締役に就任
昭和 63年 5月 同社常務取締役に就任
平成 3年 5月 同社専務取締役に就任
平成 4年 5月 同社代表取締役に就任
[主な公職]
稚内商工会議所 議員
稚内ロータリークラブ 会長
有限責任会社ワッコル 代表
稚内サハリン国際貿易株式会社 代表
北海道港湾建設協会 副会長
稚内建設協会 副会長
稚内建設協会の副会長である藤田幸洋氏(藤建設椛纒\取締役)は、サハリンとの交流や産業クラスターを通じて、稚内発展と新たなビジネスチャンスを模索している。「自ずから事業をつくり出す運動を」と語る藤田氏に、これからの業界の動向と地域における企業のあり方などを伺った。
――会社の来歴と、経営者としての実感は
藤田
当社は、昭和26年に藤田組として創設し、翌27年に藤建設と改称しました。また、平成4年に先代が他界され、急遽、私が37歳の時に社長になり現在に至ります。
社長業については、立場上、相談できる上司がいなくなったことで苦労しましたね。会社をどう維持していくかが最大の課題でした。これまで現場での勤務が主体でしたから、経理や事務の経験はなく、経営のノウハウもありませんでした。
しかし、先代が残した人材のお陰で助かりました。先代の時は、トップダウンで全ての判断を下していましたが、私が社長になってからは集団合議制とし、結論は私が出す仕組みに変えました。他にも、色々な関係者の話を聞き、その中で判断材料を得ていきました。
――建設業界の再編の動向を、どう考えていますか
藤田
企業合併とは如何なものかと考えています。これだけ非常に厳しい時代で、一般市民が透明性を求めている時代に、合併の視点をどこに持っていくかですね。人材や機械など、色々な経営資源を蓄積するための合併ならば成り立つと思います。しかし単なる実績確保、受注確保の為の合併では成り立たないでしょう。経営力強化などの意味合いで合併をすれば良いと思いますが、業界を見ていると違う方向に進んでいると感じます。
当社は、合併は視野に入れていませんが、経営資源の統合という意味で、将来的には持ち株会社で共同の資材購入や機械運行、経理総合部門の統合はあり得ると思います。
――それは藤グループとしての合併ということですか
藤田
藤グループとしての合併はメリットが無く、他会社と藤グループの藤建設が合併することも無いと思います。逆に、稚内市内の建設会社が持ち株会社を設立してそれぞれが事業を行い、資材の共同購入や機械の共同管理・運用をすればお互いにプラスになるはずです。これが将来的な業界の姿だと思います。
今までは、事業は与えられていましたが、これからは待っていても来ない時代です。自ら事業をつくり出す運動をしなくてはなりません。そのためにはマチづくりに対して資金を出しつつ、口も出す形でなければ、望めないでしょう。建設業界は、口で語るものを画にできる点が特徴です。それを地域の人達と何度もキャッチボールしながら、地域の要望を具体化して、事業化に結びつけていくことにより、地域が良くなり自分たちも良くなります。そういう仕事をこれからは掘り出していかねばなりません。
――積極的に地域づくりに参加するなかで、需要を掘り起こすというということですね
藤田
これからは投資効果が、非常に重視される時代です。地域に何が必要かを一緒に探しだし、プレゼンテーションするだけでなくキャッチボールをして、そこで地域住民が、本当に欲しいと思うコンセンサスを得て事業をしていく形が成り立つと思います。
――どんなまちづくりを考えていますか
藤田
個人的にはサハリンとの交流に、特に関心を持っています。これは先行投資だと考えています。種を蒔かなければ収穫はあり得ません。いかに先行投資ができるか、その視点にどれだけの人間が立てるかで、建設業界も変わってくると思います。
――先行投資には、リスクが伴います
藤田
しかし、こうした取り組みがなければ、今後の建設業は成り立たないでしょう。相変わらず受注戦争だけの繰り返しで終わってしまいます。会社の存続とは、どんな優秀な会社で技術力や資金力、優れた人材がいようが、地域の人が「この会社は要らない」と言えば、その会社は存続できません。
私達は少なくとも北海道、稚内という地域にとって、必要だと言われる企業にならなければ将来はありません。同時に、現在の経営資源を維持しなければなりません。人を減らす雇用調整をしながら、企業が生き残っても意味がありません。私は従業員に対し、当社は、雇用調整のためのリストラはしないと宣言しました。ただ、頭の中でのリストラをしてくれと頼みました。今日できることは今日して、明日しなければいけないことは明日しよう。それを全員で実行すれば、雇用調整はしなくても済むと思うのです。
企業を存続することは、要するに働いている人の給料を払うために、企業を維持することが最大の地域貢献です。従業員を路頭に迷わせることが、最もしてはならないことですね。
――ロシアとの交流の展望は
藤田
対ロシア交流については、平成8年に商工会議所議員を務めていたおり、サハリンの大陸断開発が始まることにより、稚内はどう変わっていけるかを研究する委員会を設置しました。私がその委員長を務めました。
大陸断開発ですから、非常に大きなプロジェクトなので、何か一つでも実績をつくるべきと考え、物流に着手しました。稚内サハリン国際貿易会社を平成10年に設立し、現在は、一万個以上のマトリョーシカ(民芸品)を輸入して仕入れ、稚内で販売しています。
また、ロシアとの交流は稚内建設協会が主体となり合弁会社を設立しました。この合弁会社を設立したきっかけは、中小企業の集まりでもサハリンとの合弁会社ができることを皆さんにお知らせしたかった点と、もっと北海道の建設業界が、東京や札幌だけ見るのではなく、北の方を向いても良いのではという点もあります。
今はリスクがあるので、日本の企業はサハリンに来たがりませんが、おそらくサハリンでの事業がノンリスクになった段階で、東京から押し寄せてくるでしょう。それでは、北海道企業としての意義がありません。サハリンは、北海道の建設会社が持っている寒地での建築や土木の技術が活かせる地域です。その意味で、私達の実力を試せる場でもあります。
――リスクマネージメントは、どうしていますか
藤田
リスクは確かにあります。だから自己責任でリスク回避できるだけの投資しかできないと思います。しかし、それが失敗しても責任は、企業経営者が持てば良いだけですから、そう思えば何も怖れる必要はないと思います。
私は、サハリンに二十数回も行って思いましたが、日本人の悪い所は、結果をすぐに求めるところです。また、文化交流といえば、ただ文化交流だけ、経済交流となると経済交流だけの交流しかしません。しかし、経済交流を進めるためにも文化交流の役割はあると思います。文化交流だけでは、サハリンの生活は向上しませんから、足して二で割るのが良いと思います。
ただ、経済行為は、行政はできないですから、民間で担うしかありません。だから、マトリョーシカにしても、輸入元の人は非常に私達に感謝しています。最初の頃は店がまだ一軒でしたが、現在は三軒になり、「この一軒は藤田さんの店だよ」と言ってくれるような状況です。ポイントはサハリンの人にもプラスになり、逆に稚内の人にもプラスになることです。かつて、北海道が本州から、木材、石炭などの資源を本州に搾取されたことと同じ事をサハリンにしてはなりません。両方がプラスになることをしなければ。
――言語の壁や治安状況の違いは
藤田
言語については、通訳を使えば済むと思います。ただ、サハリンは日本と違い治安もあまり良くなく、生活環境がかなり違います。しかし、明確な目的を持って行くなら、ホテルのサービスの違いなどが理解できます。漠然として、偏見を持っていくとその通りになります。
――視点を定めていく方が、有意義ですね
藤田
ビジネスの視点で眺めると、現地には意外と仕事がたくさんあることが解ります。観光気分である限りは、「こんな汚いホテルに泊まれない」と感じてしまいます。
――ところで、建設業界も、他業界との交流を促進してみては
藤田
私は現在、産業クラスターの研究会に入っています。建設業であっても産業クラスターの一部たり得ることを証明したいのです。産業クラスターで産業を興すことにより、関連施設の整備構想が持ち上がりますから、建設業が参与する余地はあります。その中で、色々な波及効果によって、建設業界も良くなると思います。
現在、興味が持たれるのは、ごみ発電計画です。可燃性ごみを燃やして熱と電気をつくり、できた熱と電気は北電に売るのではなく、他産業で使用する形にしたいと思っています。
――産業が発展すれば、波及効果が当然あるわけですからね
藤田
建設業は、単に工事や構造物などを設計書通りにつくれば良いのではない、と考えています。それを使う人達の利便性を考え、施工者の立場から大胆に提案していくべきだと思います。どうしても請負産業として、強く言えない部分もありますが、これを変えていくべきだと思います。逆にそうした提案をしていけば、この企業は地域に必要だと思われるかもしれない。
ですから、「常に前を向いて前向きのチャレンジ」が当社の方針です。ただ大変だと言うだけでは、仕事はきません。「あの会社は大変だそうだから、違う会社にしよう」という話になってしまいます(笑)
――北海道開発局長は、みな大変だと訴えてくるが、逆に今をチャンスと考えなければならないと主張していますね
藤田
確かに、今こそビジネスチャンスだと思います。平和な時代に絶対ビジネスチャンスはなく、混沌としている時代だからこそビジネスチャンスがあります。サハリンも、そのチャンスだと考えています。稚内港を流通の拠点にしたいという考えもあります。稚内港に物が集まれば、人と金が集まります。そうすれば市の産業が発展し、稚内市は素晴らしい街になりますからね。

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