建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2002年5月号〉

interview

交流人口の増加により、地域経済へ波及効果

3つのマチづくりの柱で、マチの課題を解消

北海道士別市長 田苅子 進 氏

田苅子 進 たかりこ・すすむ
昭和13年4月5日生まれ、昭和34年3月北海道自治講習所修了、昭和34年4月士別市役所入庁総務部税務課、昭和57年7月総務部財政課長、昭和57年11月総務部企画財政課長、昭和60年4月市立士別総合病院事務局長、平成元年2月士別市教育委員に任命、平成元年2月士別市教育委員会教育長に就任(3期就任)、平成10年5月士別市長に就任(1期)
士別市は、北海道北部の中心に位置し、天塩川流域の豊富な水と肥沃な大地に恵まれ、農業を基幹産業として、発展してきた。かつては、人口はほぼ4万人だったが、現在は、2万3千人ほどとなり、過疎化が懸念されている。そこで、経済対策や雇用対策に取り組む田苅子進市長に、士別のマチづくりについて伺った。
──市長に就任してから任期最後の年を迎えましたが、その間に力を入れた政策は
田苅子
解決しなければならない問題があったので、「勇気・決断・実行」を基本姿勢として課題に取り組んできました。そして、新しい私なりの個性を持ったマチづくりを進めてきました。全力を挙げて取り組んだつもりですが、市民にとっては、まだまだ足りない面があるかもしれません。
──個性を持ったマチづくりとは、どのように進めましたか
田苅子
生涯学習によるマチづくりです。これは教育長を経験したからこそ、考えられたことです。心の豊かさが求められている中で、やはりソフト面を大事にするマチでなければ、これからの時代にそぐわないと思います。
また、元気なマチとは人が集まり、人の出入りの多いマチだと考えています。それには情報が必ず必要です。情報にアンテナを張り、的確にキャッチできる賢いマチであり、市民でなければなりません。
特に平成11年は開基100周年で、スポーツによる全国自治体サミットなど、記念事業を行いました。これが全国に波及し、現在も参加した自治体が持ち回りで、毎年、開催しており、士別から発信したものが、全国に継続・発信されていった良い面があります。
──情報発信の意味では、国際交流も活発に行われていますね
田苅子
国際交流は、他のマチと比較すると遅れていましたが、士別のキャラクターであるめん羊が機縁となり、オーストラリアのゴールバーン市と国際交流の調印式を100年記念事業として行い、国際交流に向けての第一歩を踏み出しました。
──現在の士別市の行政的課題は
田苅子
どの地域も過疎化が進み、かつては4万人近い人口でしたが、現在は、2万3千人ほどです。これは現在の農業事情や若年者の雇用の場が無いことなどが原因です。そこで、「スポーツ合宿の里づくり」、「サフォークランド」、「自動車等試験研究のまち」の3つの柱を重点的に、マチづくりを進めています。
「スポーツ合宿の里づくり」は、日本一の合宿のマチだと自負しており、毎年、約1万5千人が合宿利用しています。高橋尚子選手が、大卒時に小出監督の門をたたいたのも士別ですし、シドニーオリンピック直前には、陸上選手の大半が士別で合宿をしました。
──優秀なスポーツ選手の登場を陰で支えている、という感じですね
田苅子
それは、やはりホスピタリティに徹しているということです。また、合宿条件づくりにも真剣に取り組んでいること。そして、超一流の選手が集まることにより、他の選手も一緒に利用し、技術も向上するなどの相乗効果が挙げられます。合宿は長年続いており、近年の厳しいご時世から、減少していくのが普通ですが、市内では逆に増えているのが現状で、大変、喜ばしい限りですね。
──「サフォークランド」の確立にいたる経緯は
田苅子
「サフォークランド士別」とネーミングを決め、サフォーク種めん羊をマチづくりの顔にしようという発想から始まりました。現在では、羊毛を活用したセーターなどの地場産業に繋がっています。
今まで道北地域は、観光の不毛地帯と言われてきましたが、残念なことに、地元住民が劣等感で勝手に決めつけている感があります。本州から来た人に教えられるのは、士別の自然は素晴らしい景観だということです。
したがって、その評価を観光振興に結びつけるためにも、サフォークを顔とする士別の持ち味を生かさなければなりません。これからは、恵まれた自然や農業などの連携を深めたグリーンツーリズムの推進にあたり、見学型・通過型の観光から、体験型の観光へ、魅力あふれる観光産業の振興を図りたいと思います。
──「自動車研究等試験研究のマチ」とは、どんなものになるのでしょうか
田苅子
現在、トヨタやダイハツ、ヤマハ、ブリヂストンなどが寒冷地試験を中心に研究しています。その関係者の生活や研究活動を行政面で支援するという意味合いです。こうした3つの要素は、旅館や飲食店などの経済効果や、雇用・消費・税収などの経済効果が期待できます。今後も、より一層の交流人口の増加や地域経済への振興に波及するようにしていきたいですね。
──これまで基幹産業であった農業の振興については
田苅子
本市の農業は、恵まれた自然や水資源を背景にして、稲作を中心に、畑作・畜産によって発展し、基幹産業として重要な役割を果たしています。しかし、国内の経済構造が変化する中で、農畜産物の輸入自由化などによる価格低迷や、農業者の高齢化・担い手不足等といった問題が課題となっています。
そこで、私は、長年の懸案事項であった農村活性化条例を整備し、農業の原点である、土づくりを進めています。また、農業を法人化することにより、若い人達が働きやすい環境づくりも進めています。
北海道は、日本に無くてはならない食料基地という地位をより高めていくべきで、その時代が必ず来ると思います。その時には、士別がその先頭を担えるような農業施策を進めていきたいですね。
──その意味で、北海道と、その中の士別市の将来像をどう見据えていますか
田苅子
北海道は広大で豊かな自然や食料があります。これは、本州には無いものですね。ゆえに、北海道は食料基地を担うべきであり、また、自然を生かした教育を、体験学習などによって伸び伸びと勉強させること。そして、広大な自然を観光に生かすことです。この3つを柱にして、高速道路や色々な北海道の発展に通じるものに、繋げていくべきだと思います。

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