建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2002年3月号〉

interview

ユニバーサルスタジオの進出で新局面

市民の認知度アップに追い風

大阪市港湾局長 仙波 惇 氏

仙波 惇 せんば・あつし
昭和 17年 6月 14日生
昭和 43年 3月 大阪大学大学院 土木工学科(昭和43年卒)
昭和 43年 4月 大阪市採用 港湾局勤務
昭和 49年 4月 港湾局南港開発部企画課主査
昭和 54年 6月  〃 技術部設計課第2設計係長
昭和 55年 4月  〃  〃  〃 第1設計係長
昭和 56年 4月  〃  〃 計画課主査
昭和 60年 4月  〃 企画振興部開発課長代理
昭和 62年 4月  〃   〃  開発課長
平成 元年 4月  〃   〃  計画課長
平成 5年 4月  〃 副理事
平成 6年 4月  〃 企画振興部長
平成 10年 4月  〃 理事(大阪港埠頭公社理事)
平成 12年 4月 港湾局長
商都・大阪の貿易を支えてきた大阪港は、ユニバーサルスタジオの立地で大きな賑わいを見せている。再開発の進んだ大阪港としては、前途に期待の持てる新しい局面だ。市港湾局の仙波惇局長に、港湾施設の整備状況、ユニバーサルスタジオを含む地域の将来像、ポートセールスなどについて伺った。
──大阪港の将来的な理想像を、どう描いていますか
仙波
大都市の港湾は、コンテナ貨物の取り扱いを抜きには語れません。近年のコンテナ船の大型化や、コンテナの取扱需要の増加に応えていくためには、大阪港全体で新たなコンテナ埠頭を整備してハード面の拡充を図ることが重要です。また、大阪港の場合、夢洲、新島など新たな埋立地により広い土地ができるので、このような土地を都市の経済発展や、港湾活動の活性化に役立つよう有効利用していかなければなりません。
一方、大阪港は、もともと河川港として出発しており、安治川、尻無川、木津川など河川部や河口付近のいわゆる在来地区の港湾施設で、これまで比較的小型の船舶が頻繁に利用してきたわけですが、外航船のみならず内航船においても船舶の大型化が進んでおり、現在では、あまり利用されなくなった埠頭地域が出て来ています。そうした地域に対しては、今後再開発を進めていくつもりです。
再開発で代表的なのは、港区に海遊館を主体とする天保山ハーバービレッジの事例がありますし、また、大阪港にとって画期的だったのはユニバーサル・スタジオ・ジャパンが此花区にできたことです。これは、古い工場用地を再生したもので、以前は造船所など重厚長大産業の工場がありましたが、その跡地を活用して、ユニバーサル・スタジオを柱とする街造りに取り組みました。その周囲にはまだまだ余地があるので、さらに再開発が進められます。
──話題性の高いユニバーサルスタジオがオープンして、周辺に変化は
仙波
変化が現れるのは、これからでしょう。天保山ハーバービレッジの再開発を例にとると、天保山岸壁など、以前は2万トンほどの在来貨物船が着くと、荷捌きに時間を要して2週間ほど停泊するような状況だったので、船員にとっても陸にあがって楽しむような時間がたっぷりあり、また岸壁周辺には船員バーなど娯楽施設も数多くありました。
しかし今では、全般的にコンテナ化が進み、荷役時間が短縮化され、数時間の係留で出港していく船が多くなったので、船員も長時間、陸にあがっている余裕がなくなり、娯楽施設なども次々と姿を消していきました。
天保山の場合は、在来船に対応した岸壁だったので、コンテナ化された船は南港を中心に利用されるようになり、次第に天保山岸壁など在来船埠頭の利用は減少していったわけです。
そこで、再開発により天保山ハーバービレッジができ、広く市民に親しまれる集客施設として海遊館やマーケットプレースが出来、大勢の人々が天保山にやって来ることになりました。
すると、ハーバービレッジとアクセスとなる地下鉄の大阪港駅との間もハーバービレッジに来るお客さんを目当てに、飲食店などのオシャレな店舗が立ち並ぶようになり、街が様変わりする結果となりました。
──経済的な波及効果は、大きかったのでは
仙波
ユニバーサルスタジオの他に、駅前にはシティーウォークの開発も進められていますが、この二つで約8,800人の雇用が創出されます。市内のホテルの稼働率も軒並み10%は上がっています。この他にもユニバーサルのメンテナンスや物流、JRの新駅ができたことなどを考慮すると、相当の雇用と経済効果が期待できます。
──その意味では、街興しの格好の起爆剤となりましたね
仙波
そうです。ですから、港の整備と再開発はことさら重要です。この他に、もう一つの大きな柱は、環境への配慮です。具体的な事例として、防波堤を撤去した際に発生した基礎石を使って、人工磯を作ったり、砂浜や傾斜護岸を作り、生物が生息できる構造を創り出しています。また、背後の広大な土地を利用して、緑地を作ったりしています。
──旅客の受入れ状況は
仙波
現在、旅客ターミナルは、天保山に客船ターミナルがあります。客船が来るためには、来た人がその場所でどんなサービスを受けるかがポイントです。今までの大阪港の売りものは、奈良や京都などの伝統的な観光地へ日帰りで行ける近さでしたが、現在はユニバーサルスタジオも加わりました。これが、客船を誘致する上で大きな材料になりました。
来てみると分かりますが、天保山客船ターミナルは、すぐ後ろにショッピングのできる所や地下鉄もあり、すぐに市内のどこへでも行けるので、非常に便利です。
私は、以前にマレーシアの客船ターミナルを見て来ましたが、ターミナルそのものは立派でしたが、都心から40分と遠いのがデメリットでした。横にショッピングセンターを建設中でしたが、大阪港では、岸壁周辺で買い物もできますし、水族館やユニバーサルスタジオもあります。
──港湾は本来、産業施設ですが、最近は一般者に開放していくという流れがありますね
仙波
大阪は、全国に先駆けて行っています。環境整備事業として、緑地や廃棄物処分場建設に取り組んできました。緑地として、魚釣り園と海水の遊泳場、そして野鳥園を作りました。これらは全て市民開放型の施設です。全国で最も早く手掛けたものです。今日では、全国で行われていますね。
──旧運輸省が、「海の日」を制定しましたね
仙波
大阪は、市民の港に対する関心が神戸や横浜ほど高くなく、市全体としての港への依存度も神戸・横浜と比較して大きくありません。この点は東京都も似ていますが、東京は割と港が都心に近い位置にあります。他の港湾を見ていつも羨ましいと思うのですが、神戸や横浜は、後ろに山や高台があり、日常の生活の中に港が目に入る距離にあります。
大阪の場合は「大阪港ってどこにあるの?」といった反応が多く、存在をあまり認めてもらえない状況にありました。したがって、一人でも多く大阪港に来てもらう仕掛けをする必要があったわけです。
──実際には、どのようなPRを行っていますか
仙波
例えば、国際的なイベントを実施しました。代表的なものとして、1983年に世界から帆船を集め、「大阪世界帆船まつり」を実施しました。このとき、大阪港に何百万もの人が集まりました。また、1997年には「セイル大阪 97」を開催し、香港〜大阪の間で、国際帆船レースを行いました。現在では4年毎に1度、姉妹港であるオーストラリアメルボルン港との間で「OSAKA CUP ダブルハンド ヨットレース」を行っています。
また、海遊館を中心とした天保山ハーバービレッジ、WTC、ATCなどのコスモスクエア、ユニバーサルスタジオなど集客施設がたくさんでき、市民が港に来て、港に親しめる環境が整ってきました。
こうしたことにより、少しずつ市民に港に対する関心や理解が浸透したのではないかと思います。
──ポートセールスには、どう取り組んでいますか
仙波
ポートセールスは継続が重要です。今年行ったから、来年に成果が出るというものではなく、続けることにより成果が出ます。意味が無いと見限って、セールス自体を止めては、情報が途切れ物流の動向も解らなくなり港の利用促進を図ることができなくなってしまいます。
──管理者としての情報発信のサービスでもありますね。以前に、ポートセールスとは言いながらも、ただ名刺交換をして、後は雑談のみという熱意のない事例や、セールスポイントの説明が不十分な事例もあるとの指摘を聞いたことがあります
仙波
日本の港でポートセールスを最初に行ったのは、大阪港です。当初は、コンテナ化が進展した時期で、今で言うアライアンスなどが日々変わったりしていました。そして、ポートセールスの目的は、大阪港が各船会社のベースポートになることで北米、欧州、豪州、近海など数多くの航路を誘致することでした。その頃は、船会社の船舶数と航路が増えていった時代ですから誘致目標がはっきりしていました。
今日では、アライアンスも確立され、北米、欧州、基幹航路はそれほど増えているわけではありません。増えているのは、中国航路や東南アジア航路など近海航路です。中国、東南アジアにおいて、日本の企業や、あるいは世界の企業の生産拠点のシフトが進み原材料や製品の輸出入を盛んに行うため港湾施設が盛んに整備されている状況にあります。
こうした物流の変化などに、対応していくため、社会の動向を把握し、荷主、船社の誘致を図るタイミングを掴むには、ポートセールス活動をずっと継続していなければならないのです。

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